当ウェブサイトでは、「ウェブサイトの利便性向上」と「動きのあるデザイン」を目的にJavascriptを使用しております。
これらを正常にご覧になる為には、お使いのウェブブラウザの設定でJavascriptが有効になるように設定する必要が御座います。
詳しい設定につきましては現在お使いのウェブブラウザのヘルプをご参照ください。

«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 || Next»

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年12月15日号─

往きは80歳、
帰りは90歳と同席


 4日
 日田「虹の家」のヘルパー講座に、仕事起こしのお話をしに行く。ローカル線のJRに乗り紅葉の景色を眺めながら、久し振りにのんびりと旅を楽しむ。ところが私の前の席に、他が空いているのにお爺さんが、往きも帰りも座られる。若い男は座らず、往きは80歳。帰りのお爺さん90歳だった。
 往きのお爺さんは、彦山にお参りに行ったと、これから日田に帰るところと言われ、朝早くからご苦労さんと褒めてあげた。とても健康ほのことを気にして居られた。子供に迷惑はかけられないと。感心した。
 帰りのお爺さんは90歳で耳が少し不自由だが、カバンからワンカツプのお酒を出して美味おいしそうに飲みながら話した。
 小倉で乗り換えて、下関まで帰るそうだ。田川の伊田に娘が居るので、来たと言われた。しかし、小倉で乗り換えるのに不安そうだったので、私が門司に帰るから安心していていいよと言うと、ニコニコして又お酒をちびり飲んだ。
 雨がひどく降るので曇る車窓を、ジャンバーの袖で拭いて外を見ていた。お年寄りって可愛いと思った。なんだか心暖まるひと時だった。旅は道連れか。無事に帰り着かれることを祈る。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-27 10:55

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年12月5日号─

それくらい当たり
前のことなのに


 28日
 昨日は社会連帯委員会設立総会。早朝、 ホテルを出て、浜松町の駅に行く。 
 11時からまごころの忘年会があるためだ。連絡が良く、丁度11時に門司駅に着いた。
 11時半皆揃い、会議を始める。1名だけ欠席(パソコンの検定試験)で、さすが出席率がよかった。代表者会議の記事を、読み合わせし、社会連帯委員会設立についても報告していた。 お昼が過ぎたので、食事会を始めた。たまにはこんな機会もつくらなければと思った。久し振りに和やかなひと時だった。午後3時、やっと待つ人も居ない我が家に辿り着いた。4日ぶりだった。

 29 日
 留守の間、利用者の奥さんが具合を悪くして、急遽常勤のヘルパーが入った話を聞き、お見舞いに行く。日頃きれいにしている奥さんが、とてもやつれていた。利用者はデイサービスに行かれて留守で、1人ポツンとリビングに居られた。なんだか淋しそうで涙が出た。元気な時は1人でもなんともないが、病気になれば心細い。まして高齢なので尚更である。
 フトンを敷いて居られたので、ベットの利用を勧める。まごころのヘルパーは、誰も良い仕事をすると褒めてくれた。嬉しかった。ヘルパーの干していた洗濯物をとり入れて、たたんであげたらとても感謝された。それくらい当たり前のことなのに。人間弱った時は、小さなことでも嬉しい。又伺うことを約束して、おいとました。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-27 10:50

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年11月25日号─

利用者が利用者
に優しく接する


 5日
 太陽の家で、利用者がお茶をたてるというので、太田さんを誘って行く。3人しか利用者はいないが、仲良くお茶を飲んでいた。初めて会う利用者が居られた。元教師で、今は悠々自適の一人暮らし。「こころ」の紹介で来られた。筋ジストロの利用者を、優しく労って居らいたわれた。利用者が利用者に優しく接する、本当に微笑ましい情景だった。もう一人の利用者は、皆に美味しいお茶を(抹茶)提供する、私は嬉しくなった。

 16日
 私は一人事務所でエリア会議の報告書 を作っていたら、古くから居るヘルパーが訪ねて来た。先日、施設に入所したOさんのところに行ってきたそうだ。施設の不満をこぼしていた。Oさんは足が弱く、時々よろけられる。ヘルパーは手を貸して一緒にそろそろ歩くのだが、施設では車椅子に乗せられて移動するとか、あれでは益々足腰が弱ると言う。そして日頃は、狭い部屋に一人ぼっちだそうだ。だからヘルパーが行くと中々帰そうとしない。本当に、姥捨て山のような気がしてならない。なんとか救う方法はないものかと考える。それには自分達の思いが叶う、グループホームを作るしかない。いまある太陽の家を、痴呆型にするのももちろんだが、介護保険適応の、ナイトデイ、ショートデイも申請しなければと思っている。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-27 10:43

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年11月15日号─

労協・高齢協に、
万歳と叫びたい


 30日
 昨日北九州を発ち、夕べは東京で一泊し て朝長野に着いた。長野は寒いのではと、今年初めてセーターを出して着たが、思いがけなく暑くて驚いた。でも新幹線からみる風景はきれいに紅葉していた。九州では見られない風景だった。まず、広い会場に驚いた。後で聞いたら1203人の出席者だったそうだ。大成功である。1年以上かけて準備された、各団体に敬意を評したい。
 31 日
 今日は会場を変え、分科会があった。私は7月頃から永井さんに頼まれていて、結局受けることになった。第7分科会で、高齢期を生き生きとという課題だった。まごころを立ち上げ、高齢者に身近に接しているうちに自分の老後と重なり、なにを求められているのかが分るようになった。又愛しくなってきた。戦前、戦後を逞しく生きてこられて、今の平和をもたらしてくれたお年寄りを、大事にしなければバチが当たる。寂しいお年寄りに、自分が側にいることで温もりを与えられる、こんな生きがいのある仕事はない。私は、その人がその人らしく生きられる介護をしたいと、主人の話も交え話した。感動してもらった。そして同じ分科会の太田さんを紹介した。今も清掃とヘルパーを続けている太田さんを、私も誇りに思うから。皆に拍手をもらった。それぞれよい仕事をされている話には感動した。
 本当にいい協同集会だった。全国の仲間と協同の精神で、この歳まで働ける労協・高齢協に、万歳と叫びたい。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-27 10:39

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年11月5日号─

やはり家で暮らさせてあげたい
と痛切に思った

  
 14日
 今日は久しぶりに事務所で落ち着いて仕事をする。エリアマネージャーの報告書を作らなければならない。
 とうとうOさんが、16日より施設に入る。近所の要望と、息子さんの考えに負けてしまった。ご自分が遠くにいるので心配なのは分かるが、それならお母さんを時々栃木の自宅に連れて帰って上げたらと思うのだが、それができないのだろうか?
 それともお母さんが嫌だと言われるのか。ずっとでなく、行ったり、来たりすればいい。まだ、そんなに痴呆ではない。施設に入れれば安心かもしれないが、内容を知らないので、簡単に入れてしまう。
 別な方のご両親も失敗された。しかし、今更どうしようもない。現代の姥捨て山の気配はある。悲しい気持ちがする。
 22日
 さんさんと、「こころ」の事業拡大で、居宅廻りをする。新門司病院に行く途中、前日入所されたOさんを訪ねた。まごころが搬入した、57万円のベットが狭い部屋で光っていた。しかし私達が退散する時、ベットに急に潜り込んだと思ったら、泣いていた。やはり此処は寂しいんだと、此方も悲しくなった。住み馴れた家、使い慣れた家具、歳をとるほど執着がある。やはり家で暮らさせてあげたいと痛切に思った。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-27 10:27

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年10月25日号─

今まだ元気な私達が、
今度は恩返しをする番である


 8日
 又、台風22号の危険性が出た。どうしてこんなに今年は台風が多いのだろう。なにかのバチで地球が怒っているのではと思うくらいである。事務処理を終え、太田さんと待ち合わせ、「こころ」に行く。いつもの喫茶店に行く。
 常連客のお歴々がもう来て居られ、一緒に合同する。老人会の副会長も居られ、満州時代の話しに花が咲いた。大正14年生まれで、日本の戦前戦後を色々体験された方達だ。
 明治、大正生まれの方達の犠牲の上に、今の平和な日本があると思っている。その人達が少しくたびれられた。今まだ元気な私達が、今度は恩返しをする番である。生きがいサロン「えがお」も、こうした高齢者の心の癒し場にしたい。
 12日
 本部長、田嶋さんと総勢8人で北九州市役所に行く。まず本部長が来訪の理由を述べ、提案書を差し出す。私も商店街進出の気持ちを話した。しかし、パワーリハビリのことで、ちょっと懸念を示された。まだ手がけたばかりで、効果が如実にあらわれていない。
 次に、黒崎駅前の商店街に、元映画館の経営者がデイサービスをしているとのことで、行ってみた。中を見学させて頂いて、びっくりした。毎日映画が上映され、今日もフランキー堺と大空真弓主演の映画が、おおきなスクリーンに映し出されていた。
 でも、見る人は一人で、介護員がついていた。もったいない気がした。田嶋さんが、これは続かないのではと心配していた。こんなのがあるので、市も懸念する。私達の理念は違うのだけれど、そこをもう少し時間をかけて、熱く語らなければと思った。 
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-27 10:26

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年10月15日号─

その人らしく生きられるように
と話した時、主人を思いだして


 10月5日 
10時過ぎからチラシを揃え、訪問するところを決めて出かける。はじめに訪問した事業所は、この頃ケアマネジャーがよく辞められる。それでも顔見知りの方がいたので「小さい自費の仕事でも、何でもしますので」と、名刺を交換した。 他のデイサービスセンターや近くの病院も廻った。どこも愛想はいいが、なかなか厳しいようで、事業所が増えて競争が激しいようだ。 小倉区も訪ねた。施設のケアマネジャーは若い青年で、なかなか感じのいい人だ。「自分の施設にもヘルパーはいるが、いい事業所なら他からでも入れます」といわれた。
一緒に行った谷さんが、すかさず「よい仕事をしています」と宣伝した。先日開所した施設もほかにあるそうで、後日訪問しようと思った。  
 
10月7日
 夕方、ヘルパー講座の講義のために(大分県の)瀬高についた。
 清掃現場の浜崎所長も若いお兄さんと受講されていたが、(仕事がおわったあとでは)やはり疲れるだろう。でも、さすが浜崎さん、がんばっていた。受講生は9人だけど、若い人が多かった。
 私が(事業所を)立ち上げた由来、どうしてこの年までがんばれるのか、労協の働き方などを話した。
 最後に、人はその人らしく生きられるよう援助することが、私たちヘルパーの役目と話す時、主人のことを話した。
 最後の最後までオムツを嫌い、自分でひげ剃りをし、爪までととのえて死んだ主人は自分のことは自分でしたかったのだと。受講生も涙ぐんで聞いてくれた。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-27 10:09

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年10月5日号─

介護される年齢になったので、
後継者を育てる義務があると思う


 9月21日
 今日は、事業本部で第3回エリア会議がある。まず渡口副本部長が、「ICAアジア太平洋地域協同組合青年セミナー2004」に出席された報告があった。辞書を片手に、真面目に参加された様子が伺えた。
 経過報告を杉本事務局長がされ、議事に入った。北九州エリアは、しどろもどろに報告した。公明党の全国縦断介護フォーラムに出席したことや、栄町商店街進出のための準備会のことなどを報告した。まだエリアマネージャーの仕事を完全に把握していないように思う。しかし、北九州の事業所全体の、いや京筑、筑豊方面にも事業拡大、健全経営、労協らしい現場づくりに励まなければと思っているが、なにしろ自分が介護される年齢になったので、後継者を育てる義務もあると思う。
 敬老の日の報告によれば、65歳以上の高齢者が全国で、2484万人になったという。その中の1人だが、自分の地域は自分達で見守るように、皆が心がければ安心して住める地域になるだろう。

 22日
 今日は大牟田事業所で清掃会議があるが、午前中見積もりの学習会があるので、さんさんの谷村さん、まごころの田中さんが参加した。清掃の仕事を営業する気持ちがあるためである。中々熱心だ。
 地域福祉事業所とは?地域の生活一般を援助することである。
 介護保険で出来ない仕事がいくらでもある。私ごとだが、洗濯機をベランダから風呂場に移した。風呂場に敷いたポリのスノコを、洗濯機に合わせて切らなければならない。ノコギリもなく、私ではどうにもならない。そこで、洗濯機を買ったホームセンターに持って行った。すると、ポリは電動では切れない、熱がおき溶けてノコギリにひっつき、ノコが駄目になるからと云う。どうしようかと困って、サービスカウンターに相談に行ったら、若いお兄さんがニコニコと、「僕が切ってあげる」と快く切ってくれた。嬉しくて「料金を払う」というと、「又この店を利用して下さい」と云われた。
 帰り、店長にお礼の電話を入れた。店長も朝礼で皆に話すと云われた。そのように、一人になって不自由なことが沢山ある。こんなお年寄りの役に立つ仕事を少しでもすることも、地域福祉事業所の役目だと思った。(パソコンの故障で、メールでの日報はしばらくお休みします)
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-27 10:08

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年9月25日号─

新聞の取材がくる。もっと地域に
広がるよう懇談会も開かなければ


10日
 今日、読売新聞が取材に来ることになっているので、太田さんを誘い10時過ぎ「太陽の家」に行く。
 メインのKさんは、丁度耳鼻科に行かれる日で欠席、Oさんは骨折で作日入院された。都合4人の利用者しか居なかったがもう来られていて、それぞれ楽しそうにお話されていた。間もなく記者の岡本さんも来られ、色々お話をした。杉本事務局長も、「高齢者の主張」の開催について、趣旨や計画等を話された。
 お昼ご飯の時間になりそれぞれ席に着き、写真を撮られた。もう少し、地域の人達が集まられるように、懇談会を開かなければと思う。そのうち新聞に載ると思うので、気をつけておかなければと思っている。
11日
 商店街活性化とパワーリハビリ機導入について、お願いしていた県議の森下さんから「公明党主催の列島縦断フォーラム(介護保険の制度見直し)があるので、参加しませんか」とのお誘いを受け、小林所長、田中さん、太田さんと4人で出席した。
 来年行われる市議会議員選挙のお願いもあったが、9人の国会議員が同席し、末吉市長も出席されていた。350人くらい集まり、会場は一杯になった。政調会長の提起があり、それぞれ質問や意見が述べられた。いつも私達が思っていることが報告された。
 やはり介護保険は、高齢者、障害者が優先されなければいけない。又介護者のためにもある。施設はお金を取りすぎると思う。誰しも自分達の地域で、住み馴れた我が家で暮らし続けたい。
 公明党は、介護予防に力をいれているとも言われた。
 筋肉トレーニングマシーンを宣伝されていた。「これだ」と思った。発言の人数が多かったので私まで言えなかったが、後でFAXするように言われたので、早速そうしようと思う。森下さんも「今後ともよろしく」と、奥さんも紹介され、会場をあとにした。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-08 14:28

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年9月15日号─

今年7回目、恐ろしいくらいの
台風で、わたしも心細かった


 
6日
 団会議のため、杉本事務局長が来られるので、ついでに不動産屋に連絡し商店街を見てもらう。皆さん、いいねと褒めて下さった。大分改修しなければならないが、家賃15万円のところ、10万円にしてくれた。
 とにかく商店街を賑やかな街にして、高齢者が元気で集まられるように、頑張りたい。提案書を商店街に見せるので、出して下さいとのことで早速、作らなければと思う。
7日
 大型の台風18号が又やってきた。今年7回目で記録破りだ。今度は一番ひどく、ヘルパー達にも怪我のないように、田中さんが連絡していた。日が変えられる人には翌日にお願いし、私も自宅待機していたけれど、恐いくらいの風が吹いて心細かった。
 夕方、少し風が静まったころ小林所長から電話があり、“こころ”のシャッターが壊れたという。家主さんは、保険で交渉するので、写真を撮っておいてほしいと言われた。太田さんとこころに行った。全部剥がれていた。小林さんが写真を撮った。でも、何処にも当たらず、誰にも怪我がなかっただけ幸いだった。
8日
 台風一過で、今日はさわやかな初秋のお天気になった。あちこちに、木の枝や枯葉が散乱している。看板も倒れたり、ガラスが飛び散り、被害の大きさを物語っていた。
 九州事業本部の地域福祉事業所長会議があるので、田中さん達と博多に行く。昨日の台風で電車がストップしたので、今日は満員だった。案の定台風の影響で、所長達も欠席が多かったが20人くらい集まった。
 宮崎さんに、自治体戦略のお話をして頂いた。又所長としての役目も話された。さすが長年の経験がいかされた話だった。ゆりかごの杉崎さんは、ロシアでの悲惨な事件を繰り返さない話をした。全員がそれぞれの現状報告をし、本部長がアドバイスをされた。
 「うみ」の久保田さんも悩んでいる。若いだけに大変と思うけれど、がんばってほしい。今が正念場だと思う。
 まごころも、商店街空き店舗のパワーリハビリ機導入のデイに向けて、田中さんと決意を新たにした。東京でのケアワーカー研修会に出席する人を決めて、散会した。又明日に向けて挑戦して下さい。お疲れ様でした。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-08 14:26

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年9月5日号─

総婦長たちもパワリハに大賛成
互いに楽しい老後を過ごしたい


 今日、ケアマネからきたサービス提供票に、「ワーカーズコープまごころ」と載っていた。福祉用具の車椅子などの点数だ。6040点だった。田中さんと喜んだ。第一号の利用者で、まだまだこれから増やす予定だが、とにかく嬉しい。「まごころ」の第一号利用者の時も嬉しかったから、これを励みにがんばろうと話した。やはり初心にかえらなければと思う。
 労災病院の久保元婦長から、ヘルパー講座の講師のことで電話があったと言うので、電話よりお会いした方がと思い、労災病院に行く。
 5Fのボランテイア室に行くと、大野総婦長も居られ、主人のことでお世話になった挨拶をした。久保さんは、部屋の中に通してくれて、自らジュースを出してくれて、3人で1時間くらい話をした。ヘルパー講座の講師のことも、いろいろ斡旋してくれて、大野総婦長は「後輩を使って下さい」とも言われた。
 私は商店街に、パワーリハビリ機を設置した、デイを開所する計画も話した。2人は「大賛成だ、協力する」と言って下さった。大野総婦長のお母さんは、島根県の津和野に居られるが、ふれあい食事会に喜んで行かれる。しかし、そこを利用するには自立でなくては出来ないので、足が悪く不自由だけれど、申請をしていない。「介護保険も利用し、遊んだり身体を元気にする自立支援の場が必要だ」と言われた。
 やはりお年寄りも、元気に楽しく過ごしたいのだ。痴呆にならないように、手足を使い、頭も使うように考えたデイを開所して、お互い楽しい老後を過ごしたい。清掃をしていた時は、近寄り難い存在の総婦長達も、こうして話をしてみると、やがて自分も高齢期がくることへの共通感が湧いてくる(私はきている)。話のわかるお二人と話し、なんだか又勇気が湧いてきた。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-12-08 14:25

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年8月25日号─

全国のみなさま、ありがとうございました

 7月29日 午前3時30分、進行性胃がんとの壮絶な戦いに負け、夫はとうとう 帰らぬ人となった。69歳と4ケ月余りの命だった。
 最後まで意識があり、心臓の止まるまでは苦しみの連続だった。それでも治るものと信じ、一生懸命戦った。息が止まった時は、正直よかったね、楽になってと思った。涙がとめどなく流れた。顔を何度も子供のように撫でた。息子達も間に合わなかった。でもあの苦しい顔は、見せないでよかったとも思った。
 人は生きるために生まれてくる。身体も生きようとしている。死にたくても、そう簡単には息は止まらない。その戦いは、壮絶そのものであることを知った。
 思えば6月3日、総代会に行く前病院に寄って、主治医から突然「進行性胃がん」の末期で、余命あと1ケ月と言われてから、約2ケ月後のことになる。
 岩城理事長、永戸専務さんはじめ、皆様方の暖かい励ましとご理解に感謝しながら、私なりに後悔のない看病が出来たことを、お礼申し上げたい。私の仕事を理解してくれて、応援してくれていた主人、いつも病床で、仕事に行きなさい、東京でも何処でも行きなさい、自分は大丈夫だからと言ってくれていた。我慢強い人で、6月7日からぜんぜん食事も摂れなくなったが、平然としていて、人に当たることもなく、看護師さんから感心されていた。重い病気の割に、手のかからない病人だった。
 今思うに、この我慢が病気を引き起こしたのではと、悔やまれる。主治医から、6ケ月したら退院出来ると言われた言葉を信じ、後4ケ月と日を数え、孫のサッカーの試合を見に行くのを楽しみにしていた主人、永遠に実現出来ない。いや、天国で見られるかも。
 全国の労協の皆様、本当にありがとうございました。全国の組合員さんに助けられ、私も後悔なく主人をあの世に送ることができました。
 これからは、主人の気持ちにこたえ、私が元気な限り労協人として、地域で安心して暮らせる街づくりに励むつもりです。これからも暖かい応援と、ご指導をよろしくお願い致します。

──
 中村さんが悲しみを乗り越え活動を再開しました。次号からは引き続き、多恵ちゃん日記を連載いたします。がんばれ、多恵ちゃん。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-11-25 11:55

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年8月5日号─

どうか自分の命は自分だけの
ものではないことを考えて


【7月23日】
 朝の新聞に、自殺者が3万4427人と出ていた。そのうち経済的理由が約4分の1だそうだ。去年より12%増えている。リストラや倒産で厳しい現状は、皆働く人を直撃する。
 私は単純に、「労協を知っていれば、死ななくてもいいのに」と思った。自分達で仕事を起こせばいいのだから。1人で悩むより、全国の仲間に相談出来るから。死にたくなくても死を前にして、病と苦しい闘いをしている人達のことを思えば、その人が死んだら悲しい思いをする人もいるはず。どうか、自分の命は自分だけのものではないことを、考えてほしい。
 昨日、一昨日と、ベテランの登録ヘルパーに、事務所の留守番をお願いした。私が2〜3時間居て帰るので、その後を頼んだ。中々よくしてくれる。第2期の修了生なので、サービス提供責任者も出来る。常勤にお願いしているが、迷っている様子。そのうち返事をくれるだろう。
 主人の容態も、先生が言われるよりは安定している。しかし、夜になれば熱が出る。ポータブルトイレを置いてもらっているが、そこに座るのもきついので、とうとう管を通された。酸素も不足するし、主人の身体は管だらけ、おまけに心電図のモニターまでつけられた。輸血、酸素補給、安定剤、水分補給と、本当に痛ましい。
 しかし、本人は生きる希望を捨てていない。「これで治るのだろうか」と、時々先生に不信感を持った言い方をするので、私は進行性のガンだからと、のどまで出そうなのを我慢する。「先生は一生懸命努力してくれているのだから」と、宥める。先生を恨んで逝かれるのが恐い。かと言って主人の寿命を縮めるようなことも出来ない。悲しいことである。


※中村さんのご主人は突然の病魔におそわれ、療養中でしたが、7月29日、お亡くなりになられました。ご冥福をお祈りいたします。(編集部)
linkLink  trackback 
category総合  time2011-11-25 11:47

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年7月25日号─

永戸専務を招いての5事業所合
同の学習会に、半数以上が参加


 朝、病院に行く。昨日担当医から厳しいことを言われ、ひやひやしながら部屋に入ると、穏やかな顔をしていた。ホッとした。輸血のせいか、顔色も良い。先生は又、大袈裟に言われると、憤慨するやら安心するやらだった。
 事務所に行き、日報を送り、今夕の学習会の打合せをして、又病院に行く。午後になると元気がなくなった。微熱もある。心臓のエコーに時間がかかり、疲れたと言っていた。胸のあたりが苦しいと言うので、私も心配して何処?どんなに?と聞くと「気にしなくていい、自分のことだから」と言う。もう少し甘えたり、我が侭を言ってもいいのではと思うけれど、日頃から我慢強い人だから、私を労わる。それがかえって痛々しい。
 6時頃、思いがけなく永戸専務が、本部長、渡口さんと来て下さった。お顔を見たとたん涙がこぼれた。たぶん主人も、感激の涙と思ってくれたと思う。いつも永戸専務のお話はしていたので。丁度、ベッドに腰掛けていたところで、よかった。本人ならともかく、家族のお見舞いまでして頂いて、本当に恐縮した。でも、嬉しかった。
 5事業所合同の学習会は初めてである。まして永戸専務を招いてである。約半数以上の25〜26人が集まった。夕方の時間で、主婦は忙しい時間だけれど、まあまあの集まりだった。
 エリアマネジャーの初仕事は、司会だった。急だったので慌てたが、まあなんとか本部長の助けをかり、努めた。永戸専務のお話は、新所長研修会の時のレジュメを使用されたが、皆にも労協の説明が分かったようだ。後ろから見ていたら、頷きながら聞いていた。やはり、魔法の呪文のように、人の心をその気にさせる話し方である。私も幾度、この呪文にかかったことか。本部長の言葉で、益々皆、納得したようだ。
 このような学習会を、月に1度開こうと、渡口副本部長が言われた。賛成! その後の交流会に、ほとんど全員参加した。私も躊躇ちゅうちょしたが、主人が「是非参加しなさい」と言うので、気になりながらも、楽しい夜を過ごした。久し振りである。私は、労協に救われている。この恩は、必ず良い仕事でお返ししなければと思っている。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-11-25 11:35

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年7月15日号─

エリアマネージャーとして、
ますます北九州を制覇しなければ


 竹森本部長と渡口さんが、午後来られると、田中さんから連絡があった。先に主人のお見舞いに来て下さった。主人もこの頃、わりと症状も落ち着いていて、私が話していたので、ベッドに座り待っていた。
 本部長も、痩せているのに驚かれたのではないだろうか。気をきかせてすぐに退室された。主人も恐縮してお礼を言っていた。それから「まごころ」の事務所に行った。もう皆集まっていた。
 まず、人事のことを話された。私が「まごころ」の所長をはずれ、北九州のエリアマネージャーになること、田中さんが「まごころ」と、「太陽の家」の所長を兼任すること、井上さんが「まごころの家」の所長になること、太田さんが「こころ」の副所長になること、久保友紀さんが登録から常勤になり、「まごころ」の副所長になることなどだった。久保ヒロコさんは、当面、実際には現場を取り仕切って頂くが、公の所長は1年先と言われた。
 皆真剣に聞いていた。そして組合員の学習会を合同でしようと決めた。
 私事で、皆に迷惑をかけているが、お陰で主人の容態もXデーの日も過ぎ、嘘ではないかと思うように落ち着いている。時々おう吐感はあるが、しばらく我慢していれば治まるらしい。
 なにも食べられず、苦しみと戦っている姿をみれば、側にいる私もやるせない感じになる。しかし今こそ私が頑張らなければ、主人も頑張っているのだから。
 1日、1日を大事に過ごしたい。そしてエリアマネージャーとしても、益々北九州を制覇しなければと、欲深い決意をした。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-10-31 16:06

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年7月5日号─

捨てる神あれば、拾う神あり
地域との連携をつくづく実感


 
 今週は、つきっきりの看病をと覚悟して、皆にも協力をお願いしていたが、担当医の言われた病状に反して、穏やかな日が続いている。まあ、私にはそう見えるだけで、本人の苦しみは変わらないとは思う。腰や肩の痛み止めに座薬がつかわれ、きつい、だるいの症状には安定剤といつものパターンである。
 2〜3日前から便が出ないと言う。私はキウイを3切れ持っていき、食べさせた。しばらくしたら、便を催したとトイレに行った。水分の多い便だけど出たと喜んでいた。
 ごく当たり前の人間としての動作が、ひとたび病むと障害が出てくる。本当に健康ってありがたい、と、特にこの頃思う。
 ヘルパー講座の施設実習を、人数制限されたため困ったが、日頃あまり行き来のなかった、田野浦の老健施設「陽光園」に電話をしてみた。
 相談役が応対してくれて「書類で申し込んでみて下さい」と言われ、早速つくって持って行った。
 「こころ」の香田さんを同伴し訪ねたら、郵便でもよかったのにと言われ、相談役が面談して下さった。労協のことを話し、自分達の理念も話し、12期目の講座であることも話した。「これからも 続けるので、よろしく」とお願いした。
 以前区役所に居られ、ケースワーカーをしていたとも言われた。「まごころ」も知って居られた。捨てる神あれば、拾う神ありだと、つくづく地域との連携の必要を感じた。 事務所に居れば主人のことが頭にあるが、こうして外部の方とお話する時は、主人のことは忘れていた。いいか、悪いか、本心である。主人の病状がこのままならば、自治体にも行かなければとも思う。主人も私の仕事のことを気にしているから。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-10-31 16:05

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年6月25日号─

夫がガン、涙がとめどなく…
でも思った。私は一人ではない、と


 3日 連合会総会に出発の日、朝、主人が検査入院している門司労災病院に行く。4月25日頃から左足がむくみ、左肩に赤いあざが出来たので、検査のため、5月31日に入院した。あざの組織検査、CTや胃カメラ、エコーなどすんだが、直腸の検査が4日にある。でも総会に行くことは主人もすすめてくれていたので「行ってくるね」と病室を出た。
 偶然、廊下で主治医に出会った。挨拶をすると「ちょっと」と手招きされ、誰も居ないナースセンターに呼ばれた。開口一番「ご主人の容態はとても厳しい」と言われた。「どんなにですか?」となにげなく聞くと、「後一ケ月の余命」と言われた。
 私は脳天を打たれた感じだった。「どうしてですか?」と又重ねて聞いた。「胃がんがあちこち転移して、手のほどこしようがない」と。又驚いた。胃が悪いと聞いたことがなかったから。「こんなガンもあるんです」と言われた。涙がとめどなく流れた。先生は、「ごめんね、でもいずれ告知しなければならない」と。私は首を振るだけだった。
 家までどう運転して帰ったか分らない。仙台行きの準備をして、博多空港に向かった。九州事業本部の総代と会うと、「ご主人どう?」と聞かれ、思わず話してしまった。渡口副本部長は「帰ったら」と言われたが、主人が逆に不思議がってもと思い、仙台に出発した。竹森本部長にもお話しした。黙りこまれた。
 4日300人からの仲間が集まり、盛大に総会は始まった。「苦労しながら働くのではなく、楽しみながら働くこと」という、知事のお言葉が印象に残った。私もお陰で楽しみながら働いている。これも労協だからである。
 菅野理事長の挨拶、高野専務理事の議案提案があり、各事業所の昨年度の報告と、今年度の取り組みが報告された。皆の健闘が伺えた。主人のことも気になったが、やはり、この総会に出席出来たことを誇りに思った。
 夜、息子に電話した。息子も、意気消沈している様子が伝わってきた。でも、私は思った。労協の人は優しい。皆が心配してくれる。永戸専務まで、青汁を飲ませなさいと、アドバイスして下さる。私は一人ではないと感じた。これからも、主人の介護も利用者の介護も、全身全力を尽くさなければと決意を新たにした。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-10-24 16:47

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年6月5日号─

労協にとっても、地域にも
なくてはならない「太陽」に


 久し振りに朝礼をする。今後の「太陽の家」の運営について。常勤の生活指導員が、7月からの勤務になるので、「まごころの家」で、かけもちをして、あとは田中、井上、中村がカバーすることにした。まだ利用者も3人くらいなので、充分だと思う。
 嬉しいことが決まった。ナイトデイの申し込みがあった。火、木、土の3日間、5時から9時までである。当面は自費料金で、常勤者が対応する。いずれ市の非該当を申請するつもりでいる。
 なんにしても、1人のお年寄りの居場所がつくれたことを、嬉しく思う。家族には大変感謝された。
 このような仕事ができることを、私こそ感謝している。
 所用をすませ、労災病院に行った。久保元副看護部長にお礼の挨拶のためである。写真もたくさん、小林さんにことづけて下さった。大きくよく撮れていた。とくに本部長が、西山さんにヘルパー講座の修了証書を渡すところが、なかなかよかった。補講を受けての受与なので、感慨深いものがある。労災病院で最初から働いている人で、久保さんとも馴染みである。久保さんも協力すると言って下さった。
 太陽の家に設置する、コピー機の稟議がおりた。早速、リコーに電話した。いろいろ資金はいるが、必ずよかったと思われる事業所にしたい。自分にとっても、労協にとっても、また地域にも、なくてはならない太陽のようになりたい。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-10-24 16:38

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年5月25日号─

「高齢者なので、優しく」とお願い
やはり“人には接しろ”である


 18 日
 朝早く、田中さんと県庁に行く。2Fの介護保険課を訪ねる。担当の山口さんが待ってくれていた。
 私は第一声で、「初めての書類作成なので、しかも高齢者ですので、優しく教えて下さい」とお願いした。電話では愛想がないように思えたが、ニコニコと冗談っぽく相手をして下さった。やはり、人には接しろである。来てよかった。
 運営規程の修正と、機能訓練士の資格が必要と言われた。やはり2Hでも看護師か、理学療法士の資格がいる。医師会から認められた、副看護士の免許ではどうか、調べてみると言われた。
 田中さんはそのまま門司に帰り、私は「6人会」に出席するため、事業本部に行く。「虹の家」の高野さん、「海の風」の田中さん、大場さん、横田さん、私で始めた。
 これから「6人会」で、地域福祉事業所の立ち上げに、最初から立ち会うことにした。やはり、立ち上げる時は、みな不安である。そしてしばらくは、経理面も指導できたらと話した。事業本部になにもかも依頼するのは、自立できていない証拠である。
 午後、直方に立ち上がる事業所を、杉本事務局長の運転で訪ねた。高野、田中、中村のかしましい3人である。静かな田園地に、元薬局だった建物を利用されていた。2Fもあり、うらやましい事務所だった。
 開所式は6月19日だ。立派なチラシもできていた。地域のために頑張ってほしい。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-10-03 09:14

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年5月15日号─

「太陽の家」もはじまる。空き店舗
を活用しパワーリハビリもしたい


 5月7日 
 田中さんや、井上さんのお陰で、「太陽の家」の申請書を一応送ることが出来た。なんとか10日までに間にあった。送った後は3人とも気が抜けたようだった。不備な点を指摘されるかもしれないが、一応6月から営業出来ると信じている。
 事業所が増えると、協力してくれる組合員も多くなる。心強い。ヘルパー達の意識も変わり始めた。
 姉妹事業所ということで、地域の人達との交流も広がった。又、ヘルパーの派遣に関しても「まごころ」だけでなく、近くの「こころ」にも依頼するようになる。よかったと思う。私が先に先に行くので、後のスタツフは大変だとは思うが、自分達がやるしかない、「やりましょう」とついて来てくれる。嬉しい。
 病院清掃現場の小林所長も協力的で、頼もしい。
 (赴任して)来られた当時は、どうして話しかけようかと心配した。今は、「こころ」の事務所と「まごころ」の事務所を、行ったり来たりの毎日である。真面目な仕事振りに尊敬する。
 10日には、各事業所の常勤者が集まり、5月22日の開所式にむけて話し合う。
 連休も終わり、自治体訪問しなければと思う。高齢者福祉課、産業振興課には是非近日中に行く予定である。案内状も用意してある。
 連休中も、(近くの観光地の)レトロは賑わったようだ。しかし、近くにある商店街は閑散としていた。シャッターも閉じたままである。
 来年はどうしても空店舗活性化をはかりたい。自分達の街である。それには自治体に語りかけなくてはと思っている。パワーリハビリを夢みている。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-10-03 09:13

«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 || Next»