当ウェブサイトでは、「ウェブサイトの利便性向上」と「動きのあるデザイン」を目的にJavascriptを使用しております。
これらを正常にご覧になる為には、お使いのウェブブラウザの設定でJavascriptが有効になるように設定する必要が御座います。
詳しい設定につきましては現在お使いのウェブブラウザのヘルプをご参照ください。

«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 || Next»

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年9月5日号─

呉から見学に来られる日と思い込み、
お昼を用意して待っていたが…


8月11日
 呉から見学に来られるつもりで、「まごころの家」にお昼ご飯を頼み、待つが連絡がない。「夾竹桃」の佐藤さんに聞いて中森さんの携帯に電話をすると、「あれは9月の11日です」と言われ、そうだったのだと我を恥じた。てっきり今日かと思い込んでいた。井上さんが大笑いした。
 利用者のMさんの所に、市から再申の調査に来るのでケアマネと立ち会う。介護度が2つも下がり毎日入られないので、食事に困られることを強調する。病状は変わらないのにどうして下がるのか不思議だ。調査員も納得して帰られた。
 午後、ケアマネから、労災に入院されているMさんの見守りに、夜中中ついてほしいと云われた。精神病と痴呆と両方あり、施設入りが難しい。
 昨日、ヘルパー講座の講師の増田先生にお願いしたら、一度診察に来るように云われた。妹さんは遠いので難色を示されているが、いつまでもこの状態は続かないだろう。
 夕方まで私がついて、久保さんと田中さんに交代したが、患者さんは以前お会いした方とは違う人みたいだった。顔が厳しくなり、心も傷ついて居られるようだ。姉妹の間になにか行き違いがあったのだろうか?妹さんのことを悪く云われる。長い間、姉妹仲良く生活されていたのに考えられない。鬱からきた痴呆のようだ。
 早く元にもどしてあげたい。でも私達はただ見守るだけである。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-07-26 09:27

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年8月15日号─
半身麻痺の方の要介護度が3から1に
赤字なのはわかるが、公平な判断を


 午後、カンファレンスのため、利用者のMさん宅に行く。犬の散歩の途中、犬に引っぱられ半身麻痺の大怪我をされて、介護に入っているのだが、介護度3がこの度1に下がったと不満の再申をされた。状態が良くなって下がるのならいいことなのだが、そのままの状態なのにどうしてだろうとパニックになっておられた。
 1人暮らしなので、毎日ヘルパーが入り食事のお世話をしていたが、介護度が1になれば毎日入られない。ベッド、車椅子、電動車椅子など借りているので、介護は1日おきにしか入られなくなった。ケアマネ曰く、1人暮らしの人は自立と見直され易いそうだ。

 この4月から介護保険の見直しが厳しくなったとは感じているが、実際に困っているのにこうなるのは、あまりにも調査がズサンだとしか思えない。良く聞けば家にも来ないで、役所で応答したらしい。
 背中が洗えますか?の問いに、長いタオルを斜めに持ってこすると答えたら、入浴が出来ると判断されたようだ。実際に浴室に行くまでと、脱衣、着衣が大変なのに、それは見ていないので分らない。
 ケアマネも不審に思っているし、私達も腹が立った。もう1度役所に行き調査を依頼したい。自分も同席する、とケアマネが言ってくれたので安心した。足りない時間は一応自費介護にして、後で保険が見直されたら切りかえることで納得してもらった。

 介護保険が赤字なのはわかるが、公平に判断してほしい。こんな人が?と思うような人に高い介護度が出ていることもある。痴呆の人に高くすることは賛成だ。生活支援の中身をもう少し厳しくして、介護に関係のない支援はやめにする。なんでもかんでもしない。これはヘルパーの毅然とした態度が問われることになる。利用者に関係のない部屋の掃除、食事の用意、話し相手の時間など、ヘルパーの責任もあると思う。本当に介護の必要な人に、優しい手をのべてあげたい。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-07-19 09:30

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年8月5日号─
日頃は空気みたいな存在でも
病気になればやはり心配

7月26日
 さんさんの谷村さんにヘルパー講座の講師を頼んであったが、新所長研修会に出席したので、急遽、私が仕事おこしの講義をした。清掃の組合員が1名受講をやめ、結果的には10名になったのだが、熱心な方達ばかりで講義にも乗ってきた。質問も相次ぎ、東門司地区にも空き店舗がある、という話まで出た。大いに期待できそうだと思った。
 その夜のこと、主人が夜中じゅう嘔吐が続き、私はてっきり脳に異常が起きたのかと慌てた。でも聞いてみれば手足のしびれもなく、頭痛もない。脳梗塞とか、くも膜下とか悪い方に頭がいき、救急車を要請しなければと思ったが、主人が「いい、大丈夫」というので朝まで待った。

7月27日
 今日は、呉へ仕事おこしの話に行くことになっていたので、お断りしなければと思っていたが、「皆が待って居られるので行きなさい」と主人が云うので、出て行った。
 新幹線の中で考えたが、脳障害でなければ食あたりしかない。思い当たることと云えば、主人だけが夕べ納豆を食べた。その納豆は少し賞味期限が切れていたが、納豆は腐ったものだからと食べていた。その食あたりかなと思うと、少し安心した。
 広島駅で奥本部長と会い、呉駅でメンバーの方達が迎えに来てくれていて、会場に着いた。中心になられる方とは「夾竹桃」(広島地域福祉事業所)の開所式にお会いし、やる気のある方だと期待していたのでやっぱりという感じだった。それにメンバーになられる方がみな協力的だった。特に男の方が3人も居られ、なんだか心強く感じた。奥本部長もニコニコして助言して居られた。開所式も9月28日(日)と決めていた。日程をあけておいて下さいと云われた。
 帰ると主人もだいぶ元気になっていた。日頃は居ても居なくても空気みたいな存在だけど、病気になるとやはり心配になる。少し大事にしなければと反省しているところだ。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-07-13 14:20

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年7月25日号─

お尻に触られても…
年齢のなせるわざか、女を忘れているのか


7月14日
 利用者のOさん、人前に出るのが苦手な人だったけれど、ヘルパーが一度無理やり迎えに行き、「まごころの家」に連れて来たら、この頃は楽しんで来ているそうだ。
 最初は黙って一人で隅の方に居られたのに、この頃はヘルパーの肩やお尻にさわるようになったとヘルパーから聞いた。元気になられた証拠だと皆で笑った。
 まごころのヘルパーは高齢者が多く、セクハラとは思わない。やはり年齢のなせるわざなのか。それとも女を忘れているのか。いずれにしても利用者が元気になられることが嬉しい。
 さんさんの谷村さんからFaxがきた。わがままな利用者に振り回されて、実務の仕事が出来ないとあった。それは仕方がない。実務は夜に回しても、利用者の希望を叶えてあげることが優先と思う。頑張ってほしい


3カ月目の退院で4階の自宅まで。翌日また入院、同じベッドへ

7月15日
 先日より頼まれていた退院の介助に、井上さんと2人で行く。まだ完治していないのに、3ケ月経ったので1度退院して又入院するという面倒なことで退院される。 
 家はエレベーターのない4Fなので、1人では上がれない。大腿骨骨折で入院し、又転んで3ケ月が過ぎても治っていない。1人では立てない人に、いくら3ケ月経ったとはいえ1度退院させて又入院させる。国の施策か知らないが腹が立つ。帰る途中で又転んだら誰の責任なのか?
 私達も必死で両脇から支えた。4Fなので長い。1段1段言葉をかけながら登る。汗がにじむ。足をこねたら大変なのでゆっくりゆっくり上がる。2Fの踊り場で休み、又3Fでも休む。やっと4Fに着いた。ホッとした。それでも部屋の中までは氣が許せない。
 ベッドの前に椅子がおいてあり、奥さんがひとまずそれに座ると云われるのでそろっと座らせた。やれやれと思った。割に肥えておられるので、支えるのに力がいった。
 家の中ではご主人が居られるので大丈夫だろう。有難うと感謝された。又病院には行きたくないでしょうと云えば、いや、病院の方が生活し易い、早く病院に帰りたいと。いずれにしても早く完治してほしい。

7月16日
 昨日退院されたIさんが又今日入院されるので、朝自宅に迎えに行く。用意をして待って居られた。家はよかったですか?と聞けば、早く病院に帰りたいと云われる。
 両脇を支えながらなんとか無事に病院に着いた。又初めから受けつけをする。そして整形外科に行き診察を受けて、病室に入った。ベッドは帰る時のままである。それなら書類だけでどうにかならないのか。不思議な仕組みである。
 まあ、私達は感謝され、帰ったらヘルパーを頼まれ、自費の収入にもなったので良いけれど。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-05-20 16:48

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年7月15日号─

7月7日
 今日はタナバタ、〝まごころの家〟でもお年寄り達が、健康を祈り笹の葉に飾りつけをするそうだ。本当にいつまでも元気で長生きしてほしい。
 寝たきりの長生きは、家族にとっても本人にとっても辛いだけの日々だから。
 5日(土)の夕方、門司区保健・医療・地域連帯推進協議会10周年記念があり、最後に佐木先生の講演があった。文化センターの会場が一杯になるほど集まった。市報に載っていたので他区からも来られていたようだ。スライドで10年の歩みが紹介されたが、高齢化に向けての行事も多々されていたようだ。今頃になって初めて知った。
 これからはこの団体とも繋がりを深め、地域のために役立ちたい。
 佐木先生の演題は「老いてますます盛ん」だった。宇野千代さん、瀬戸内寂抄さんが、 80歳・90歳になられても小説を書き続けられるパワーを話された。
 人間、やりたいことを楽しみながらすることは元気で長生きの源と話された。「自分も今この仕事を楽しくしている」と云われた。私も頷いた。本当にそう思う。それぞれ形は変わっていても、人から押しつけられるのでなく、自分の思いをやりとおせば生きがいに繋がる、これからも夢を失わず80歳・90歳まで頑張ろうと思った。労協で。講演がすんでロビーで先生と挨拶を交わした。又近日中にもお会いしたい。
 月度報告を作った。なんと事業高が50万近く減っていた。毎日入っていた人が入院したり、Oさんのプラン見直しがあったり、まごころの家に少し回したりで覚悟はしていたが、ショックだった。原価率はまあまあだが、事業高を増やさなければ駄目だ。ヘルパー講座も始まる。清掃現場とも少し話し合わないといけないと思う。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-05-07 09:23

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年6月15日号─

6月2日
 今日から6月。〝まごころの家〟が独立する日。朝、〝まごころの家〟の森田さんが自宅に来て、一緒に行く。メンバーが5名集まった。新しい人に「協同労働」の説明をし、組合員加入を確認。
〝まごころ〟からも2人の組合員が移動するが、みんな張り切っていた。〝まごころの家〟の利用者は今日は5人、車が軽なので2回に分けて送迎したら2回目がおそくなり、利用者のお宅に「待っていてね」と電話するなど、大騒動だったらしい。あすから、もっと早く送迎しなければということになった。今日からは全面的に森田さんに任せる。明日、市役所にいっしょに行こう。
 〝まごころの家〟にここから2人が移動したので、サービス提供責任者として私が登録しようと思ったら、実稼働時間が不足していた。考えてみたら、〝まごころ〟を開設してまだ3年経っていなかった。講座の修了は6月だったが、事業所での稼働は12月だった。あわてて田中さんにお願いした。事業所を立ち上げるのはいいけれど、やはり人を育てなければならない。
 3月から事業所の拡大にともなって重要メンバーが4人も飛び立っていったので、〝まごころ〟はもぬけの殻となってしまった。すこしあせったが、どうやら手続きも間に合った。神様は見捨てなかったと感謝したい。
 1級講座をはじめたいとおもっているが、なかなか実現しない。なんとしても実現したい。
 先日、竹森幸男さんがすこし元気がないと聞いた。行事がつづき、サービス精神旺盛な人だからどこにでも顔を出していた。私も、門司労災病院現場の20周年の式典への参加をお願いしていたので、来ていただいたが、いまは後悔している。
 大事なのは身体だ。無理をせず、完全に治癒してから活動してほしい。
 命は一つしかないので、お元気になられるまで待っています。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-04-08 13:01

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年6月5日号─

5月7日
 朝から、支援費の請求書を手書きで作る作業を井上さんとする。ああでもない、こうでもないと記入例を見ながら頑張る。
 私は「さんさん」に行く約束をしていたので、途中で出る。その前に区役所に行き、社会保険が出来たので国保の解約手続きをする。40数年前に共済保険の被保険者だった私が、この歳になって又社会保険の被保険者になるとは夢にも思わなかった。
 長い間扶養家族だったのに、68歳にして1人立ちしたように思った。こんなことは普通の会社ではあり得ない。それにしても厚生年金の高いのには驚いた。70歳まで掛けなければならないらしい。まあ、長生きして後で多くもらうように頑張ろう。
 「さんさん」に行き、池光さんと施設病院廻りをする。まず、S病院に行く。以前ヘルパー講座の講師をお願いした先生が居られるので、呼んでもらう。愛想良く出て来られた。ご無沙汰の謝りを云い、「さんさん」の宣伝をする。デイケアに出る前の準備と、帰った時の着替えなどヘルパーに頼むので、又連絡させてもらうと云われた。
 そしてついでにOさんを見舞った。別棟の2Fで鍵がかかっており、看護婦さんに開けてもらい、手をつながれたOさんが出て来た。なんだか涙が滲んできた。小さくなって目がうつろのようだった。
 Oさんは覚えていて、「元気になったら帰るから又来てね」と云った。手をにぎり、「元気でね、又来るからね」と云うと、涙を目に一杯ためていた。やるせない気持ちで病院を後にした。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-02-21 10:23

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年5月15日号─

 今日から風薫る5月、新緑が目にまぶしい。朝「まごころの家」の利用者をお迎えに行く。木曜日は人数が多く、ボランテイアで送迎してくれる人だけでは間にあわない。OさんやAさんが待っていてくれる。少し痴呆はあるが、普通の人となんら変わりはない。いつも丁寧に有難う、有難うと感謝してくれる。やり甲斐を覚える瞬間である。
 それにしても、一昨日睡眠薬が効きすぎて、緊急入院されたOさんが今日退院させられ、施設に面談にいくように云われたとお世話されている方から電話があった。病気ではないので退院させたのだろうが、面談に行くのは施設ではなく、精神病院なのだ。施設は順番があってすぐには入られないからだろう。
 電話を聞いて哀しくなった。近所で子供の頃から世話になったという人が面倒をみて居られるが、その人も身体が弱いので、説得されてやっと私達がヘルパーに入り始めたばかりだった。夜徘徊されるので睡眠薬を飲ませるのだが、身体が小さく薬の加減が難しい。退院されれば私達が交代で夜オムツ交換に行く予定だった。夜介護に入ってもいいので、病院には行ってほしくない。帰りながら、早くグループホームがほしいとつくづく思った。
 もう1人悲しいお年寄りがいた。「まごころの家」が開所したばかりの時、フラッと1人のお年寄りが来られた。その時は痴呆も目立たず、近所の市営住宅に住んでいると云われた。記念に玄関で写真を撮ったのだが、先日警察から電話があり、その写真を持ったホームレスの方の住所が分らないかと問い合せがあった。ひかえておいた住所はでたらめ だった。その時からホームレスだったのだろうか?痴呆がひどくなり、警察も困っているようだった。
 痴呆、いつ誰が病むかもしれない。家族にとっても哀しい現実である。家族のためにも安心して入れられる施設が、ほしいものである。つくりたい。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-01-24 10:14

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年4月25日号─

4月16日
 新規の利用者さんOさんは82歳で一人暮らしだ。2年前に奥さんを亡くし、子供さんも居られず、ご自分も去年の12月まで入院して居られた。食道ガンだったらしく、通院しながら今は自宅で静養されている。
 午後、Oさんの家にヘルパーを同行する。本人は人嫌いで、甥ごさんが頼まれたので仕方なく受けられたのだが、案の定、してもらうことはないと、家に上がらせてくれない。
 玄関で色々お話しした。話は好きらしく、亡くなられた奥さんの話など色々話された。
 ふと足元をみると足の甲が腫れてパンパンになっていた。聞いたら医者は栄養不良と云ったという。そこですかさず、自分では中々バランスがとれないので、ヘルパーが入り料理をしてあげるというと、やっと納得された。食道ガンだったので、軟らかい料理に心がけなければとヘルパーに話した。
 男の方はとかく寂しいくせに片意地を張られる。老いたらもう少し人に甘えてもいいのでは?私達もそこを見透かして、優しくしてあげなければと思った。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-01-21 11:17

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年4月15日号─

4月3日
 桜が今、春爛漫と咲き誇っている。今日は「まごころの家」の日でお花見を計画していたが、朝から曇りだし気温も低いので取りやめにした。部屋の中にお花を飾り、お寿司とハマグリのお吸い物などで会食をした。
 お昼頃からお天気になり少し暖かくなってきたので、又思い直し、帰りを早めた。途中きれいな所があるので、皆を分乗させ出掛けた。本当にきれいで皆大喜びだった。1本ならそうでもないのに沢山並
んでいると、ピンクの桜並木で心までピンクに染まるようだった。幸せを感じながら皆をそれぞれの家に送りとどけた。今日は良く眠られることだろう。
 Oさんを家まで送ると、上がれ、上がれと云われる。やはり寂しいのだろうと家の中に入る。人気のない家は本当に侘しい。ここで1人生活されるOさんが可愛そうになる。テレビが唯一本当に友達だ。少し痴呆があるので火の始末も気になる。かと云って施設も侘しい。
 何処にいけばいいのか?
 子供、孫に囲まれ大家族の中が幸せなのか?
 人それぞれではあるが、元気なうちに自分の老後の居場所を考えておく必要があることを、つくづく思った。
 Oさんお疲れさま、今夜は良い夢を見てね。
linkLink  trackback 
category総合  time2011-01-06 14:34

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年4月5日号─

3月21日(金)
 昨夕帰りに、元組合員で昨年亡くなった野中さんの地区の民生委員の方が訪ねて来られ、野中さんの家の裏に住まわれているおばあさんの、介護をお願いしたいと云われた。血縁ではないが、一人暮らしの野中さんとは親子のように助け合って生きて居られた。野中さんが亡くなり、やはり寂しさと心細さからか、痴呆がすすんでいるそうだ。
 民生委員の方は、以前から介護保険の申請をと再三云っていたそうだが、昔の人でしかも独身でとおした方なので頑固。これまで食事の面倒をみて居られた近所のNさんが「自分も足腰が悪くなり病院通いがあるので」とヘルパーを勧められ、やっと『中村さんならいい』と云われたそうだ。人が家に入るのを好まれない方だが、野中さんの介護の時、度々会っていたので少しは心を開かれたのかもしれない。
 今日は森田さんもお休みの日だが、2人で10時ごろ近所のNさんの家に行く。「お昼ご飯の用意をしなければいけないので、病院に行っていても気が気でない、ヘルパーさんが来てくれれば助かる」と喜ばれた。でも私ばかり行けない時もあるので、森田さん、久保さんとチームを組んで慣れてもらうことにした。しばらくはNさんも一緒に居て、だんだんに慣れてからヘルパーだけが入るようにすることにした。
 長い間会社勤めで年金は充分にあり、家も自分の所有なので暮らしには困られないが、独りぼっちになり寂しさから痴呆もすすんできたのだろう。痴呆は長生きの副産物なのか?いい薬はないものか?親子でも分らなくなる。悲しいことである。
 月曜日にケアマネとプランをたてるため、再度訪問することにしてNさんの家を出た。野中さんに充分でなかった分、野中さんがお世話になったおばさんに心からの介護をしたい。
linkLink  trackback 
category総合  time2010-12-16 11:18

2003-03-15

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年3月25日号─

3月5日(水)
 今日は、門司労災病院の入院利用者の介護に私が行く番だ。
 10時過ぎ事務所を出る。家の方に持って行くものがないか確認し、労災に行く。廊下がピカピカに光り、以前と全然違って驚いた。丁度廊下を小林所長がバフがけをして居られた。挨拶をして利用者の所に行く。
 Aさんは洗面器にタオルなどを入れ、「今日は看護婦さんがお風呂に入れてくれるそうだが、いつになるかも分からないし、私に入れてほしい」と云われる。びっくりしたが、それでは婦長に聞いてくるねとナースセンターに行くと、婦長は「大丈夫よ、お願いします」とのこと。Aさんは大喜びで、車椅子に乗せ浴室に連れて行った。 衣服を脱がせ、私もナイロンエプロンをかけ、中に入った。個人の家の風呂では介助したことはあるが、施設での実習しかこんな大きな風呂に入れるのは始めて。
 でも不安をかくし、とにかく手摺りを持って入るように手を添えた。骨折で膝を手術して居られ片足が不自由なので、床に足をつくのが大変だ。私も入るのならいいのだが、外から手だけで支えるので力が入った。滑らせては大変なことになるので、ゆっくりゆっくり行動させた。
 汗がポトポト流れた。でも身体を洗い、髪を洗ってあげたらとても喜び、気持ちがいい、今夜はぐっすり眠れると感謝された。
 こんなに喜ばれる人に接する度にやる気が湧いてくる。ヘルパーって本当に良い仕事だとつくづく思う。
linkLink  trackback 
category総合  time2010-11-18 09:25

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年3月15日号─

3月3日(月)
 午後、高齢協の「夢ひろば」から紹介されたTさんの家を訪問する。地図で大体分かっていたが、道筋を一つ間違えて分からなくなり電話したら、息子さんが迎えに出て下さった。
 少し足が悪く、老いた両親を看て居られた。娘さんは八幡に居られ、日曜日しか来られない。50歳くらいで独身の息子さんが山梨県の方から帰り、両親の面倒を看ることにされたそうだ。でも食事くらいしか出来ず、掃除を頼まれた。最初は週1回からはじめて、様子をみて又調理の方もと云われた。
 まだ去年の12月に帰られたばかりだけれど、ストレスが溜まるとこぼされた。心情は良く分かるので、ヘルプは家族のためにもあることを伝えた。安心されたようだった。 81歳と86歳の両親を毎日介護される息子さんも、ヘルパーさんが来られたら1日は外に出たいと云う。焼き物のボランティアをすると張りきって居られた。
 ああ、1人助けたと思った。
 先日、教会での結婚式に出席した時、牧師さんが若い2人に、「無条件の愛と許し合うことが長い結婚生活には不可欠である」と云われた。本当にそう思う。夫婦だけでなく、親子、仕事仲間、友達同志、利用者に対しても必要なことであると感じた。
linkLink  trackback 
category総合  time2010-11-08 13:21

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年2月25日号─

2月17日(月)
 土曜日に退院したMさんが又具合が悪くなった。救急車で病院に連れて行く。丁度ヘルパーが入っていた時なので良かった。回復したから退院させたのだろうが、この頃部屋がないので3ヶ月もいたら出される。完全に良くなったかどうか分からないのだろうか。本当に具合の悪い人は何処に行けばいいのだろう。医療制度に不信がつのる。
18日(火)
 朝、博多に行こうと支度をしていたら電話がなり、森田さんからで、「所長、驚いたらいけませんよ」と前置きし、Mさんが亡くなったことを聞いた。びっくりした。
 昨日事務所から帰りにMさんの自宅に寄り、部屋の電源の確認と、残り物の整理をし、鍵をかけて病院に行ってMさんに鍵を渡し、又帰ったらすぐ知らせてねと別れた翌日のことである。
 顔色は悪かったけれど、すぐ亡くなられるような状態には見えなかった。3ヶ月になったから帰したのかどうか分からないが、身体の状態は医師が一番良く知っているはず。土曜日に退院し、月曜日に亡くなるなんて信じられない。もう少し病院にいたら、死ななくてすんだのではと腹立たしい思いがした。
linkLink  trackback 
category総合  time2010-10-30 13:48

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003 年2 月15 日号─

【1月20日】
 土曜日の夜、松沢編集長から電話があった。3ケ所目「さんさん」を立ち上げる話しだが、どう云う気持ちで取り組んでいるのかと問われた。後がないからですよと笑った。とにかく1ケ所立ち上げて介護しているうちに、福祉(幸せづくり)=生きがいになったと答えた。
 困った方や、寂しいお年寄りに出会う度に、なんとかして楽しくさせてあげたいと思う。住み慣れた街で、家で、寝たきりにならず、コロリと死ねたらどんなに幸せかと誰もが思うでしょう。私自身そう思うから。少しでもそのようになれるような介護をしていきたいと思う。
 自立支援、元気なうちに少しお手伝いしてあげて、身体を動かすように勧めている。寝たきりになる前の地域のお年寄りを見つけて、1人でも2人でも支援したいので、「まごころ」が拠点になって廻りに輪を広げたいと思っている、と答えた。
【1月22日】
 開所式を2月11日(火)に決めたので、案内状を作らなければ間に合わない。パソコンに慣れていない人ばかりで、又大騒動である。
 縦書きにやっとしたら地図が大き過ぎて、出席・欠席の場所がなくなった。結局地図の上に書いた。それでも喜んでFaxした後よく見たら、各位様がぬけていた。本当に情けない限りである。
 まあ、年寄りのすることと大目にみてほしい。都合の悪い時は年寄り面してごめんなさい。熱っぽい、とうとう…
【1月24日】
 夕方、帰りになんだか熱っぽいと思い帰宅して計ってみたら、38度あった。めったに熱が出たことがないのに、とうとうきたかと思った。いつの間にか風邪を引いていた。不注意の報いである。ヘルパーにはうがいと手洗いを勧めているのに、自分は油断していた。夜、咳が出だし、熱も上がり食欲もなくなった。
【1月28日】
 ヘルパー会議があるので、どうしても行かなくてはと早く治るように頑張った。人間日頃は健康であることを当たり前のように思っているが、こうして休んでいるともどかしい。夕方会議に出席し、3月と10月にあるケアワーカー研修会のことを話す。国保の料金の改正や、ヘルパーの賃金も上げなければと思う。「さんさん」の開所式には出来る限り協力してほしいと頼んだ。電話局から連絡があった。番号は 093─481─7380。看板屋さんに早速お願いしなければと思う。なんだか物事がとんとん拍子に進むので、後を頑張らなければと身の引き締まる思いである。健康に気をつけて。
linkLink  trackback 
category総合  time2010-09-08 14:01

«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 || Next»