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まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年4月25日号─

「えがお」でバザーとぜんざい会
途中、ヘルパーから電話が入り…


 4月15日
 今日はサロン「えがお」で、ぜんざい会並びに不用品バザーを開催する。事務処理をすませ、「えがお」に行くと、もう準備は整っていた。
 そろそろバザーのお客さんが集まって来られた。中でぜんざいを食べられる方もあり、賑わいだした。
 1人男の方が来られ、住所を書いてもらったら、私と同じ棟の5Fの方だった。そう言えば、お顔は何処かで見たようだとは思っていた。これで宣伝になった。年も同年だった。
 以前のバザーから、サロンはあまり人の出入りがなかったが、以前来られた人にも案内状を出し、来られたので、だんだん親しくなれると思う。バザーとぜんざい会は続けようと思う。
 以前のようにお肉屋にぜんざいをと思ったが、お返しが気の毒になり、遠慮した。声だけかけた。
 3時に「まごころの家」の利用者が7人来られた。大変喜んでお代わりして居られた。バザーの洋服や本を、買って帰られた。
 その途中、ヘルパーから電話があり、利用者の様子がおかしいと言う。近くだったので、副所長の田中さんが行った。
 喘息が激しく、すぐケアマネに連絡し、救急車で病院に運んだ。意識がなくなり、親族に連絡し、機械装置をされた。息子さんが不在で、どうしようかと思っていたら、お嫁さんが乳がんで同じ病院に居られると聞き、立ち会って頂き丁度よかった。
 なにがどうなるやらわからない。でも、連携がうまくいき、ひとまず安心した。高齢者はいつどう急変するかわからない。充分に気をつけてあげなければと思った。
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category総合  time2011-10-03 09:12

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年4月15日号─

新事業所は「太陽の家」に。
すずめのお宿はどうかな?


 4月5日
 事務所に帰ると、以前九州の協同集会に参加された生協のIさんから「覚えていますか?」と電話があった。労協新聞連載の『多恵ちゃん日記』を楽しく読んでいますよといわれる。「よく覚えています」と答えた。実は門司に知り合いの人がいて、通所を捜しておられるそうで、『まごころの家』を思いだし、電話したと言われた。
 嬉しかった。やはり、人はつながりが大事だ。近いので伺おうと思う。
 高齢協とも、北九州以外ともつながり、地域が楽しくいきいきと、暮らせる町にしていきたいと思う。
 4月6日
 朝、事務所に来てみると、「第2まごころ」の設置申請承認書が届いていた。嬉しかった。永戸専務の、地域から資金を集める実践をして欲しいとの話しがあった。まことにそう思う。
 地域住民に語りかけ、労協の働き方を理解してもらわないと、閉鎖になった事業所(他事業者が不正をして閉鎖になった場所なので)と同じに思われる。
 いよいよ今日から地域を廻らないといけないと所長になる森田さんと話した。協力債も募るつもりでいる。第1号は「まごころ」の利用者のMさん。最初はケアマネとの関係がうまくいかなかったが、いまは良き協力者である。自分の怪我を受容し、努力し、前向きに生きておられる。これも「まごころ」のヘルパーのおかげだといわれ、やりがいを感じる。
 「第2まごころの家」の名前を、みんなで考える。
 いろいろ候補はでたが、結局「太陽の家」になりそう。ゴロあわせで、心はまごころで、太陽がさんさんという、すこし無理矢理だがみんなが明るい印象だと喜んでいる。わたしは「すずめのおやどは、どう?」というと笑われた。
 ひょうきんでいいと思ったのだが…。
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category総合  time2011-09-28 14:58

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年4月5日号─

どんどん仲間を増やして
地域でよい仕事をしたい


 28日
 昨日、「こころ」主催のヘルパー講座が修了した。7名の少人数だったが、2名が「まごころ」に登録してくれた。施設に勤めながらヘルプの仕事を覚え、将来はケアマネを目指すと言われた。期待している。
 「まごころの家」が2つに分かれる。「まごころの家」には久保さんが残り、「第2まごころの家」には森田さんをと思っている。
 一人でも二人でも寂しいお年寄りをなくしたい。地域に寄られるところがあれば、家族も安心して外出も出来る。ヘルパー講座を次々開講し、仲間を増やしたい。
 明日は、宮崎さんが地域福祉事業所を立ち上げたいとの希望をもたれている方を、連れて来られる。私達の理念と働き方を見て頂きたい。
 29日
 午後、約束の時間より早めに、宮崎さんがお客さんを連れて来られた。
 奥さん同伴で、熱意を感じた。
 活性水素水の販売のお仕事をされていたらしく、知り合いの教師だった方が福祉施設をされていて、自分もそんな仕事がしたいと宮崎さんにお話しされ、現場をみようと「まごころ」に来られた。
 私も労協の働き方や自分の経験を話し、労協は、誰でもいつでもやる気さえあれば夢を実現出来ることを話した。「まごころの家」にも同伴した。奥さんは、お年寄りが明るいと感心された。自分のお父さんは施設にいたが、落ち込んで寂しそうだったと話された。次に「こころ」に連れて行った。生きがいサロンはいいね、若松にもお年寄りが多いのでこんな所があればと言われた。
 ヘルパー講座が4月から始まることを話すと、奥さんがまず受けてみたいと言われた。2人ともいい感じのご夫婦で、宮崎さんも力になることを約束されていた。
 私も大分の協同集会にも出席されてみてはと話した。北九州市の若松、戸畑方面にも労協の仲間を増やし、共に地域のため良い仕事をし、安心して住める街になればと思う。
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category総合  time2011-09-28 14:57

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年3月25日号─

枠からはみでるほど書いて
北九州市に応募


 16日
 「市政だより」を見ていたら、生き生きと元気に活動している個人・団体を募集していた。私は即座に応募しようと思った。自分のこともさることながら、この際労協の宣伝がしたくて。自治体に少しでも名前を覚えてほしくて。保健福祉局の計画課である。もってこいの部署なので、朝すぐ計画課に電話を入れた。愛想のよさそうな、○○さんといわれる方が応対してくれた。
 自分の経歴、なぜこの活動をしはじめたか、どんな思いをもって頑張っているか等々、枠からはみ出るほど書いた。そして協同労働の働き方─雇う雇われるのでなく自分達が出資をして仕事を起こし、自分達で民主的に経営していく、良い仕事をして地域の再生に努めるなど、自分なりに書いた。
 選ばれた人は、内閣官房長官から表彰されるようだが、私はそれよりも労協が多くの人達に知られることが大事なので、恥ずかしながら応募した。果たしてどうなるか?でも北九州の保健福祉局計画課には覚えてもらえると思う。
 17日
 朝早くJRで吉塚に。杉本事務局長と9時半に待ち合わせをしていた。開札口にダンディな杉本さんが待ってくれていた。福寿の荒牧さんは、地下鉄でくるとかでそのまま県庁に行く。
 打ち合わせをして、監査保護課へ。約束は10時だが、担当の方は書類をコピーされていた。でも「仕事が入ったので」と、応接のソファーに案内された。時間が掛かりそうなので、11時に再度訪問した。温和そうな方が、杉本さんの労協の説明を熱心に聞いて居られた。当面すぐどうこうという話にはならないが、とりあえず市の方の生保で援助している話だった。
 やはり財政面で色々あるようだ。1200人くらいホームレスの方がいるようだが、半分くらいの方は病気や高齢のようだ。支援する団体も北九州に1ケ所だけで、NPOに頼っている状態で、少し腹も立った。もう少し国が援助をしないのか。
 午後、6人会があるので、事業本部に行く。本部長の調子があまり良くないように聞いた。心配だ。
 宮崎さんに、いいお話を聞いた。ある病院が施設をつくる話、それを労協に任せようかとのこと、また福祉事業をしたい仲間がいる話、さすが宮崎さんのルーツはすばらしい。共に頑張りたい。少しでも力になれればと思う。
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category総合  time2011-09-28 14:56

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年3月15日号─

寂しい一人暮らしの方は
ほっておけない

 3月1日
 今日から弥生3月、しかし冬が逆戻りしたような寒さである。田中さんの次男さんは卒業式。私には遠い昔の話。春は卒業、入学、就職とおめでたい行事が多い。桜も咲く。心が浮かれて、事故や失敗などしないよう心がけねば。
 「さんさん」の谷村さんから久し振りに電話。落着いたら小倉南区で、ヘルパー講座を始めなければと思う。人と人との繋がりは、やはり講座が一番。
 森田さんが、利用者がぼつぼつ増えだしたと、嬉しそう。定員は7名。介護保険での利用の方が有り難いことは分っている。でも、今まで自費で来て下さっていた人に、人数が増えたからと言って断るわけにはいかない。地域の寂しいお年寄りの、寄り合いの場所ということで立ち上げたのだ。今まで通り利用してもらえば良い。そして、第2まごころの家を早く立ち上げることだと思う。第3は小倉南区で。谷村さん、頑張ろうね!
 3月2日
 入院する利用者が多い。集金かたがたお見舞いに行く。入院されたら、一旦ヘルパーの手から離れるのだが、寂しい一人暮らしの方はほっておけない。Mさんも骨折で随分長いので、行ってみた。顔が小さくなり、背はかがんで本当に消えてなくなりそう。なんだか涙が出てきた。私の顔を見て嬉しそうに語り掛けるMさんは、まるで子供のようだった。次から次へと話が絶えない。5日頃退院したいが、先生はなにも言わないと嘆いていた。まあ寒いので、もうしばらく居るようにと言い残し、思いきって帰った。私も一人になって入院したら、こんな気持ちになるのかな、と少し寂しくなった。
 3月4日
 忘れ雪が舞っている。ヘルパー達も寒いだろうと心配する。久し振りに返戻の通知がきた。性別の間違いだ。男の方なのに女とASPに入っていた。コンピュータはどんなことでも、見逃さないのだと感心した。まあ、性別の違いは大きいが。先月からなにも入力していないのに、どうしてこんなことになるのだろう。これもコンピュータの摩訶不思議な現象か? 親友のご主人がアルツハイマーになったと嘆いて知らせてきた。元気でこまめに家事をされていたのに。人は、いや高齢者はいつどう変わるか分らない。身体にいい食事を腹八分目に食べる、常に頭を使う、適当に運動する、睡眠をとる、ストレスを貯めない、これらに気を配り、ピンピンコロリと逝きたいものである。
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category総合  time2011-09-21 11:59

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年3月5日号─

田中羊子さんといっしょに自治体訪問。
労協新聞も届けることに

  21日
 4時には本部の山下さんが門司港に着かれると言われ、私は門司港駅に急ぐ。5人が集まり、福祉用具の取り扱いとCC共済の説明が始まった。皆は熱心に聞いたり質問したりしていた。まず、福祉用具の取り扱いの申請をしなければと思った。山下さん曰く、〈福祉住環境コ─ディネーター2級〉は難しいそう。田中ゆみ子さんが再度挑戦するといわれる。がんばってほしい。
 23日
 今日午後、田中羊子さんが来門されるので、労協新聞のコピーをとる。小林さん、偐海の風做の田中さんなど総勢5人で市役所に行った。
 まず産業振興局の商業振興課に行き、係長と面談する。羊子さんの流暢な説明に、一々頷いて居られた。 高齢者福祉課にも行った。課長と係長が会って下さって、課長は途中で退席されたが、係長は話を熱心に聞いて下さった。私も思わず、労協新聞を月に1度持って来てもいいですかと、約束してしまった。いいですよと言って下さった。保育は女性の係長さんだったが、保育、学童は社協に任せているのでと言われた。 時間があればホームレス支援のところにもと言われ、保護課というところに行った。係の人が丁寧に話を聞き、答えて下さった。
 ついて来た田中ゆみ子さんも、ずいぶん勉強になったと言っていた。夜交流会をした。羊子さんが九州は楽しい、元気があると言って下さった。期待に応えるよう頑張らなければと思った。
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category総合  time2011-09-21 11:52

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年2月25日号─

本部長!身体を労わり、
お母さんを安心させてあげて下さい


 10日
 午前中は門司区役所に行く。時々顔を出すので、覚えてくれている。資料はすぐ受け取ってくれるが、やはり本庁でなければ駄目のよう。それでもまごころの存在を、覚えていてくれるだけでも有り難い。
 午後、不正請求で取り消しになった事業所の跡が、バリアフリーのまま空いているとのことで、見せてもらいに行った。なるほど広く、トイレも2ケ所あり、お風呂も大きく、全部段差がない。キッチンも広く部屋数も多く、内縁で庭がある。家賃は7万円と言われた。
 一人、借りたいと申し出ているとのことだった。森田さんと「いいね、いいね、ここで第2まごころを開所したいね」と話した。夢で終るかも知れないが、想像するだけで楽しい。夢みながら、小倉南区役所に行く。
 11日
 竹森幸男さんの告別式があるので、森田さんと参列する。電車の中で、遠賀の仲野さんの娘さんと会う。お葬式以来だが、ふくよかになられ、明るいお顔をしておられた。父が28回夢に出たと笑いながら話された。就職も決まり、福祉の道を極めると、目を輝かせていた。よかった、仲野さんも草葉の陰で安心されるだろう。
 会場は一杯に溢れていた。いかに地域のためにがんばられたかが伺えた。仲野さんと竹森さん、本当に地域にとってかけがえのない人を失った。もう少し長生きして、私達を指導して欲しかった。ヘルパー講座での面白い講義が蘇った。弔辞を読まれる永戸専務も、いつもの講義とは違い、言葉をつまらせておられた。それが余計に涙を誘った。
 出棺の時、奥さんが挨拶されたが、竹森さんについてきてよかったと言われているように思った。自分に正直に生きられ、又そのご主人を信じてついてこられた奥さん。本部長(竹森鋼さん。センター事業団九州)!
 身体を労わり、お母さんを安心させてあげて下さい。
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category総合  time2011-09-21 09:49

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年2月15日号─

新米のヘルパーが目を潤ませて
手を握り「よかったね」と喜んだ


 やはり寒い朝である。
 案の定、主力のヘルパーから風邪を引いたので休ませてと連絡があった。田中さんはいないし、井上さんと午前、午後と交代で入ろうと話していたところに、若いヘルパーが「子どもがおたふく風邪にかかったので、休ませて」と言ってきた。
 2人で慌てた。他のヘルパーにも応援をお願いして、どうやら利用者に穴をあけないで済んだ。皮肉にも悪いことは重なる。でも、身体の調子が悪い時は、仕事に実が入らない。早く治してほしい。
 ヘルパーが、仕事の帰りに事務所に寄り、聞いてくれと言う。「今まで新米の自分を拒否していた利用者が、今日は『ありがとう』と言ってくれた」と、目をうるませながら話した。私も思わず手を握り「よかったね」と、彼女と喜んだ。
 1人の人がずっとヘルプしていたので、やはり2人体制にということで、彼女を当てたのだが、頑固なおじいさんなので心配していた。
 ずっと逆らったり、口も聞いてくれなかったり、怒ったりしていたYさんが、ようやく心をほぐした。2人に拍手を送りたい気持ちだった。5ヶ月くらいかかった。
 孝行なひとり息子さんが、晩だけ泊まりに来られるのだが、やはり淋しいのだ。奥さんに死に別れ、まだそんなに年月が経っていない。利用者の気持ちも分かるが、ヘルパーもよく辛抱してくれたと、嬉しかった。
 午後、家が分らないので、井上さんと2人で1人暮らしのTさんの家に行く。優しいおばあさんで、マンションで1人で暮らして居られる。下の階に娘さんが居られ、安心な環境だが、娘さんも働いて居られるので、昼間は淋しい。お話にきりがなかった。
 目先の仕事に追われ、この頃訪問していない。時々こうして利用者とお話することも大事な仕事だ。喜ばれる。ヘルパーが行くのでいい、ではいけない。出来る限り廻らなければと、反省した。休んだヘルパーに感謝した。
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category総合  time2011-09-07 13:39

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年2月5日号─

9年ぶりの大雪で混乱。
でもどうやらみんな無事で安心した


 朝起きたら大雪で、15センチくらい積もっていた。私の家は小倉南区のため、門司より雪が多く降る。今年のような大雪は9年振りで、びっくりした。
 事務所に電話したが、やはりまだ誰も来ていなかった。田中さんの携帯に電話したら、バスが来ないのでまだ停留所で待っているとのこと。しばらくして、井上さんから、バスでやっと来たと電話があって安心した。
 雪はしんしんと降り続いている。チェーにはあるが、1人ではつけきらない。情けないものだと反省した。
 どうやら無事にヘルパー達も活動していると、田中さんから連絡があった。
 午後、本部長から思いがけなく電話があった。いつもの元気な号令とは違い、痛々しさが身に伝わった。やはり、本部長は元気でなければ似合わない。しばらくゆっくり養生してほしい。
 1月ももう終る。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と昔からのことわざがあるが、本当に正月を過ぎると、すぐ新年度である。事業計画・予算と、月末までに提出しなければと気が焦る。
 今年は田中さん達に、予算を考えてもらった。一生懸命考えているようだ。やる気がみえて嬉しい。
 労協人であれば、誰でも出来るのが当たり前である。
 しようとしない人を指導するのが、リーダーの役目だと思う。組合員みんなが、自分の思いと夢を述べ、共感しあい、よい仕事をしていくように今年も頑張ろうと思っている。
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category総合  time2011-09-07 13:35

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年1月25日号─

ぜんざいを振る舞い、バザーも少し
地域にとけ込んだ気が


 生きがいサロン「えがお」で、地域の人達を招待するぜんざい会、バザーのため、田中さんと9時に事務所を出る。
 10時前から前を通る人達がバザーに寄って来た。中に案内し、ぜんざいを振舞う。なかには声をかけたら、なにか売りつけられるのではと手を横に振り、足早に通り過ぎる人もいた。
 中年の2〜3人連れはすぐ入って来られる。いろいろ説明すると「こんな場所がほしかった」とも言われた。絵手紙に興味をもたれる人が多いのがわかった。
 看護師さんを辞めて遊んでいて「何かできることがあれば手伝う」という仲良し2人にも会うことができた。来られた方に住所と電話番号を書いてもらったので、繋がりをもちたい。
 総勢50人は入れ替わり来られた。「まごころの家」の利用者が、送迎の途中に寄られ、ぜんざいをお代わりするほど食べられた。とても喜んでいた。
 偶然にも、清掃をしていた時の仲間で、私と最初に総代会に行った矢野さんが前を通ったので呼び込んだ。今でも「労協新聞」はとっていて、労協のことは知っている。祝い酒をくれた。
 バザーの売上が13500円あった。皆で喜んだ。向こう三軒両隣にぜんざいを配達したら、ミカンや焼きブタ、タコヤキなどお返しに下さった。少し地域に溶け込んだ気がした。
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category総合  time2011-09-07 13:29

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2004年1月15日号─

自分の信念貫き、実を結ぶよう努力
きれいな花を咲かせ、輝いて生きたい


 〔1月5日〕
 年末年始も穏やかに過ぎ、2004年の仕事始めである。井上さんがお休みのため、田中さんと2人、淋しい仕事始めになった。まず年賀状を見て、早々のご挨拶に返事のFaxをする。年賀状の購入数が少なくて、失礼ながらFaxで済ませる。
 国保の点数を2人で合わせる。心配していた通り、事業高が減っていた。年末休みもあるけれど、毎日入っていたご夫婦が、2人共入院されたのが大きかった。お年寄りは明日が分らない。骨折は致命的である。治癒するのが長く、そのうち歩けなくなる。まあ、色々いい訳を言っても仕方がない。新しく困って居られる人を見つけることである。
               ▼
 今日の新聞に2006年の見直しに、介護度の低い人は訪問介護を除外するように出ていた。その代わりに「介護予防サービス」を新設するそうだ。在宅サービス給付費の節約が主の見直しなのだろうが、色々問題もあると思う。頭にすぐ、竹内先生のパワーリハビリが浮かんだ。宅老所、ミニデイ、デイケア、生きがいサロンの必要性も求められる。「まごころの家」、「生きがいサロンえがお」も出番である。           
               ▼
 この頃車を運転する時、「世界に一つだけの花」をかけている。オリコンでヒットチャート一位だからではないが、詩がいい。「一人一人違う種を持っているが、その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」と。本当にそう思う。
 人間も、世界に自分と同じ人はいない。顔が違うように心も違う。自分の信念を貫き、実を結ぶように努力すること、そこに共鳴してくれる仲間がいれば恐いものはない。きれいな花を咲かせ、輝いて生きたいものである。老い先短い私が、今ごろ気付いたのだ。でも遅くないと思う。
 正月早々偉そうなことを書いてごめんなさい。又、今年も拙い日報続けます。
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category総合  time2011-08-31 11:40

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年12月15日号─

幼い坊やの姿が哀れで涙が溢れた
戦争の犠牲者はもうやめてほしい


 国保の請求事務や月末の経理の締めに、井上さんは奮闘している。田中さんは娘さんを動員し、「こころ」の開所式の買物に行った。久保さんは活動に出るし、みな開所に向けて頑張っている。
 しかし、「まごころの家」の久保さんがダウンした。もう2日休んでいるので、「まごころの家」に行ってみた。森田さんは「今日は3人だから大丈夫」と言って、食事の準備をしていた。送迎にはもう出ていた。お互い身体だけは自分で管理して、健康を保たなければならない。「まごころ」は高齢者が多いので特にである。
 明日はまた忙しくなる。手ぬかりのないようにと心がけているが、心配だ。あちこちからメッセージも届いた。全国の仲間が応援してくれているようで嬉しい。小林所長も同じ思いをしていることだろう。清掃の現場と両立しなければならないので大変だろうが、皆が協力するので頑張ってほしい。
 昨夕、テレビを見ていたら、殺された外交官2人の遺族が現地に向かわれる場面があった。幼い坊やが手を引かれ、キョトキョトしながら歩いていた。哀れで涙が溢れた。また、その子はすぐお兄ちゃんになるとか。生まれてくる子は親の顔も知らない子になる。
 私ごとだけど、私の下の弟も親の顔を知らないで、58年生きてきた。生まれる前の月、父は戦死した。当時はお国のために亡くなったのだと仕方なく諦めていたが、弟にしてみれば全然、思い出すらない。
 もう昔の話は仕方がないが、今の平和な世の中で、しかも他国のことでこんなことになるなんて、どうなっているのか。戦争の犠牲者は、もうやめてほしいと切に思った。
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category総合  time2011-08-31 11:39

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年12月5日号─

長いようでアッという間の3年間
これからも真心で介護していきたい


 今日、朝から田中さん達は、自費で草取りに行く。小林所長から鎌を借りて、勇ましい出で立ちで出かけた。私は、開所式のしおりに綴じる挨拶文を作る。
 「まごころ」の3周年もするので、3年間の歩みも書かなければと思う。3年といえば長いようだが、私には短かった。アッという間に過ぎていった。
 いつの間にか小さいながら事業所も4ケ所になった。地域のお年寄りや障害者が、居心地良く自分の家で過ごせるようにと願って、真心で介護しただけのこと。これからもこの気持ちに変わりはない。
 昼過ぎ2人が帰って来た。それは大変だったらしい。慣れない仕事でフーフー云いながらしたそうだ。それはお疲れ様と労う。そして、これからはまず見積りに行くことを話す。自分達でかなわない時は、清掃の小林所長に相談するようにしようと決めた。
 森田さんから電話があり、例のMさんが夕べ吐血したらしく、病院に連れて行ったけれど時間が過ぎて看てもらえなかったと言う。病院も不親切だねと話す。結局、明日「まごころ」で通院介助を、ということになった。
 Mさんは介護料が滞り、私達もどうするかずいぶん悩んだが、介護に入る日を減らしながらも、週1回はボランテイアでもという気持ちで入っていた。先日、長男から電話があり、「まごころ」の分だけでも払います、と入金してくれた。よかったと喜び、又週2回は入れると思っていた矢先のことで、私達もショックだ。
 胃カメラで検査をするらしいけれど、たいしたことがなければと祈る。タバコが止められず、お酒も飲むので、少し入院して摂生したら元気になるかもしれない。Mさん、頑張ってね。
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category総合  time2011-08-31 11:36

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年11月25日号─

労協ってすばらしいと田中さん。
労協にいるからこそ、また労協が好きになる。


 午後から本部で全国世話人会があるので、「海の風」の田中さんと上京した。
 会議では、はじめに永戸専務が挨拶、沖縄のケアワーカー集会の成功を喜び合って、1人ひとり感想を述べた。皆、よかったよかったとこの集会の意義を身に感じているようだった。
 私も、ケアワーカーは協同の力がなくては成立たない仕事だと思っている。労協のケアワーカーは良い仕事をしていると自負している。何故なら根底に協同と愛の精神があるから。
 この集会の後、サービス提供責任者の田中さんが、労協ってすばらしいと言ってくれた。
 全国のケアワーカーが一堂に集い、学習し、心を一つにして感激したのをまのあたりに見て、心を揺り動かされたのだろう。私も嬉しかった。その後積極的に仕事をこなしている。
 整理された分厚い感想文を頂き、一部分読んだ。やはり思いは同じようだった。ケアワーカーとしての悩みや苦しみ、不安は自分だけではなかった。全国の仲間と共有している、その安心感が自信に繋がると思った。
 夕方の交流会も全国の仲間と繋がり、今日であったばかりの人なのに、ずっと昔からの友達だったような気がしていた。
 思い出すと、今でもあの感動はハートに蘇る。
 世話人会も以後、「地域福祉事業所推進会議」と改められ続行する。私自身のため、地域の高齢者のためにも、身体の続くかぎりがんばろうと思っている。
 3時過ぎから、永戸専務をはじめ総勢18名で霞ヶ関の厚生労働省に行った。12Fに香取課長が待っておられた。私は興奮した。
 舞台では良く見えなかったけれど、目の前におられる課長は、若くてハンサムで、優しそうな普通の課長さんだった。名刺の交換に胸が高鳴った。こんなことは一生に一度だけの体験だろう。
 労協にいるからこそと、また労協が好きになる。厚生労働省の職員食堂で食事会をした。
 楽しい一日だった。
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category総合  time2011-08-22 09:29

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年11月15日号─

敬い、愛しあい、共存しなければ
人間として生きている意味はない


  11月4日
 今年最後の大型連休も終わり、いよいよお正月が来る。その前に北九州は開所式と、3周年を無事終えなければならない。今日は事業所の契約に行く約束をしていて、10時に待ち合わせをしていた。
 もう大家さんは来られていて、鍵の整理をして居られた。「この辺にこんな事業所が出来たら安心だ」と近所の人達が言っていたと云われた。本当なら嬉しいことだ。地域に根ざす私達にとって、皆に期待されているかと思うと心強い。
 ヘルパー講座をさっそく12月13日より開講するための準備にも、心がはずむ。清掃の方達が主役なのに、つい手が出る、足が出るである。小林さんがあまりにも忙しそうで、なんとか軌道に乗るまでは応援しなければと思う。
 医師会で大変優しくして頂いたケアマネさんが1年くらい前に辞められて、心細く思っていたのだが、今朝机の上にハガキがあり、居宅の事業所を開所したと知らせてきていた。やっぱりという感じだった。早速お祝いのFAXを送ったら折りかえし返事がきて、「これからもよろしく」とのことだった。心強い味方が出来たような気がした。
 人は繋がらなければいけない。偉い人も痴呆の人も、人は人である。人として敬い、愛し合い共存しなければ人間として生きている意味がない。新聞、テレビで今ニュースになっている、両親、兄弟を殺傷した大学生、又その相手の高校生、一体なにを考えているのだろう。自分をこの世に生み出してくれた両親を憎み殺す、私には考えられない。そこには愛がなかったのだろう。動物にも負けている現状に情けなくなる。せめて私の周りだけにでも愛は惜しみなく振りまきたい。
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category総合  time2011-08-22 09:29

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年11月5日号─

利用者の奥さんから緊急で依頼
気のつく気がきく田中さんであった


 
井上さんが風邪を引いているようだが、休まず来た。無理をしないように、と言っておいたけれど、やはり仕事が気になるのだろう。健康あっての仕事なので、用心してほしい。
 利用者のYさんの奥さんが具合が悪いので、自費介護で来てほしいと連絡があった。田中さんが急いで行ったら、肺炎を起こす手前だったらしい。
 介護保険の認定を受け、要支援が出ているが、一度も使わず今月で期限が切れるところだった。田中さんが親切に説明して、更新の申請をするように保険証を預かってきた。とても喜ばれて電話がかかってきた。普通のヘルパーでは気がつかないことを、さすがサービス提供責任者だと褒めていた。
 早速、ケアマネに連絡して今日の活動は自費でなく、介護保険を使った。お互いが良かった。気のつく気がきく田中さんであった。
 支払が滞っているMさんの介護に入るか入らないかを皆で検討したが、4ケ月溜まったので心を残しながら来月から中止することにした。
 「まごころの家」も同じように滞っているが、週一回は来られるようにすると思う。なにもかもなくなると、今までの楽しい生活から又元にもどることになる。家の方は帰りにでも見に行くようにしたらと思っている。
 長男さんが支払いをしてくれたら、以前のように出来るので心頼みである。Mさん、もう少し待ってね、私達も辛い立場なので。
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category総合  time2011-08-22 09:28

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年10月15日号─

小林所長と事務所の下見に
家賃2万円が気に入り


 約束の10時に小林所長から電話があった。今から行くので労災病院の保安室の前で待つように云う。今度、清掃のメンバーと立ち上げる事務所の下見に行く。
 まず、労災病院の近くにあったコムスンの後を見るが、広すぎるので小林さんも迷っていた。
 次に東門司のバス停から商店街に入った所を見せてもらう。下はブティックで2階が空いていた。私達は昨日見せて頂いたが、小林さんは初めてで、家賃の2万円が気に入ったようだ。
 今月中にそのブティックも出るそうで、上下を借りてくれれば6万5千円にすると云われた。下を事務所に2階をヘルパー講座の教室にすればと思ったが、最初から高い家賃も大変だろうと諦めた。
 一応、小林さんも賛成したので大家さんに11月からと口約束した。駐車場もすぐ近くにあった。市場通りなので人の行き来は多い。
 又、大家さんは、自分の親も認定がおりたのでよろしくと言っていた。幸先がよいように思った。早速、本部に申請書を出さなければと、小林さんを急がせた。予算も低く出来そうで、増資を募らなければと思う。
 夕方、ヘルパー会議をする。七つの原則を皆で唱和し、議題に入る。この頃は、サービス提供責任者の田中さんが会議を仕切るようになった。私が留守の時、否応なくしなければならなかったので、くせがつき、いいことだと思う。皆がそれぞれに自立してほしい。
 又、いいことがあった。長いこと組合員にならなかった人の1人が、今日、組合員になり2口出資してくれた。労協の働き方をやっと認めてくれた。嬉しかった。
 あと1人で全員組合員化だ。がんばろう。
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category総合  time2011-08-16 08:57

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年10月5日号─

ヘルパーとしての領域もあることを
身をもって知る


 11時よりMさんのケアカンフアレンスをする。森田さんも来て、利用者抜きの話し合いである。利用料が遅滞していること、どうしてこうなったか、最初の出会いから話し合う。
 最初、住宅の管理人から依頼され訪れた。子どもさん達が放っていたので、私達が一生懸命介護した。隣に住む人と管理人に頼まれ、森田さんは支払いの世話までしたが、ケアマネ曰くのめり込み過ぎと云われた。
 子どもさん達が居られるのだから、そこまでしなくてもと云われた。その子どもさんがしないから私達がしたのだが、ケアマネは冷静に、ヘルパーがするので子どもさん達も放るのだと云われた。頭を傾げることもあったけれど、云われてみればそうかも知れない。
 介護料は、最初は長男が払うと云われたので安心していた。でもそれは一度だけだった。
 仕方がないので森田さんが本人と銀行に行き、支払いをしていた。が、2ケ月に一度しかない年金では毎月払えないのが実状である。そこで息子さんに催促したけれど、お嫁さんが出られ、なんやかんやと誤魔化されてきた。
 もう私達も待てないので、中止するしかない。折角、普通の暮らしができ、愉しく生きているMさんを見れば、放ったらかしにするには忍びない。
 ケアマネは子供さん達に会いたいと云われるが、実現しそうにもない。あっさり放棄してもらい、生保にしたら今よりいい生活ができるとも云われる。まあ、子どもさん達の気持ちも聞いて、その方の手続きをした方がいいかもしれないが、しばらく訪問は止め、デイを1週間に1度だけ利用することにした。
 ヘルパーとしての領域もあることを身を持って知る。ただ同情だけでは駄目なことも。
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category総合  time2011-08-16 08:50

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年9月25日号─

全国の仲間と手を携えて、
自分たちの地域は自分たちで守ろうではありませんか


 5日の日、元組合員で去年亡くなった野中さんの伯母さんが亡くなられたと知る。
 介護に入り始めた頃から痴呆がひどくなり、夜徘徊するので仕方なく施設に入られたのだが、とうとう亡くなられた。施設に入られて5ケ月だった。
 身寄りもなく、野中さんとは血の繋がりはなかったが、お互い前、後ろに住み助け合って生きて居られた。家で死にたいと口癖のように云われていたが、若い野中さんが先に逝き、がっかりされたのだろう。本当に後を追うように逝かれた。あの世があるならば、そこで仲良く暮らしてほしい。小さいが若い時は男装の麗人と云われた人で、タカラジェンヌのようだった。ご冥福をお祈りする。
 夕方、東門司地区立ち上げの準備委員会を開く。清掃から小林所長と太田さんと西山さんが来る予定だったが、西山さんが急に来客があったとかで、まごころから7人揃い、9人で話し合う。
 小林さんには本部に稟議書を書いてもらいたい。私達は場所さがしから始めようと思う。資金は講座生の出資金と、組合員の増資、地域の人達の協力債を募ることにする。
 小林所長もやる氣を起こし、ヘルパー講座を続けてするような話をしていた。鹿児島の松垣さんとお互い励まし会っているように思えた。いいことだと思う。
 ならしのの地域福祉事業所「ひだまり」も開所する。どんどん労協の事業所が増えていく。嬉しいかぎりだ。全国の仲間と手を携えて、自分たちの地域は自分たちで守ろうではありませんか。
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category総合  time2011-08-16 08:40

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2003年9月15日号─

苦労して4人の子どもを育てたのに
誰も心配してくれない状況に複雑な思い


 今日は2人の介護をした。
 朝8時前にMさんの家に行く。Mさんは寝床の上に座り、テレビを見ていた。前日伝えていたのにもう忘れ、何処に行くの?と尋ねる。今日は病院で検査してもらうのよと云うと、やっと思い出した。
 左の胸痛をうったえたので、懸かりつけの医院が紹介状をかかれた。何処の病院も多い。特にお年寄りが多い。それも年老いたご主人が車椅子を押しながら、奥さんの通院を介助されている。又逆の場合もある。自分の将来をみるようだった。
 色々検査した結果、心臓が大分悪く、今度このような状態になったらカテーテルをして、精密に検査しなければと云われた。タバコを厳しく制限された。Mさんも神妙に聞いていた。
 苦労して4人の子供を育てたのに誰も心配してくれない状況に、私は複雑な思いだった。
 夕方はAさんの見守りに行った。Aさんはデイケアから帰り、仏様の道具を掃除していた。でも目のふちを赤くしていた。おそらくお酒を飲まれたのだろう。「日に焼けたのかね?」と聞いてみたら、「そう」と云われた。それ以上なにも云えなかった。
 少し日が落ちたので散歩に出た。足は元気でどんどん歩かれる。こちらの方がフーフーいうようだった。
 部屋に帰り、Aさんに日記を書かせた。デイケアが楽しく、私が来てくれて嬉しい、でも帰られたら淋しいと書かれた。
 5時から7までなので、7時になったので帰ろうと思うけれど家の方はまだ帰られない。時々こんなこともあるそうで、仕方なく帰ることにした。後ろ髪を引かれる思いだった。家族と同居でも淋しい思いをするお年寄りが居られる。
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category総合  time2011-08-05 10:39

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