当ウェブサイトでは、「ウェブサイトの利便性向上」と「動きのあるデザイン」を目的にJavascriptを使用しております。
これらを正常にご覧になる為には、お使いのウェブブラウザの設定でJavascriptが有効になるように設定する必要が御座います。
詳しい設定につきましては現在お使いのウェブブラウザのヘルプをご参照ください。

«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 || Next»

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年8月15日号─

「親思う心に勝る親心」である

2日
 8月になると、あの忌まわしい原爆と終戦を思い出す。今年は戦後60年、過去の悲惨さはだんだん薄れ、忘れ去られようとしている。しかし、まだ原爆病で苦しんでいる人も少なくない。こんな悲劇は2度と起こさないように、語り継がなければならない。
 今日は中野さんが風邪でお休み。「まごころ」のヘルパーの渡部さんが手伝ってくれる。お昼前に、ヘルパーの八坂さんから電話があり、久しぶりに「えがお」に来た。日頃ヘルパーに入っているRさんの所から帰る途中だと言う。
 Rさんは82歳で少し認知症がある。息子さんは離婚されて現在独身。Rさんは、その息子さんの世話を生きがいにしていられる。自分の身体もあちこち悪いのだが、息子さんに心配かけるので内緒にしていられる。八坂さんが息子さんに少しはお話した方がいいですよと言っても聞かない。
 本当に親は幾つになっても、子供のことばかり思うものだと感動した。息子が再婚するまで、私が息子の面倒をみなければと、頑張っていられる。親って本当にありがたい。
 〝親思う心に勝る親心〟である。時々記憶が飛ぶが、息子さんの幸せを願い頑張るRさん、いつまでもお元気でと祈った。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-06-18 15:35

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年8月5日号─

東京で夢のような
現実を見た


31日
 東京事業本部・全組合員集会と、「社会連帯委員会・東京」設立記念集会が、麹町の自治労会館で開催された。私達には関係ないかと軽く考えていたが、出席してみてよかった。
 東京が燃えている。指定管理者制度でとれた仕事、プレゼンで委託を落札した事業、それこそ億単位の仕事を、若い人達が仕切っている。報告も、メモを見ながら一生懸命お話していた。こんな若い組合員がいることに、将来の不安はないと確信した。子育てから高齢者・障害者まで、仲間との協同、利用者との協同、地域との協同で協同労働を実践していく、夢のような現実を見た。
 午後は、「社会連帯委員会・東京」設立記念集会だった。記念講演の鷲田先生のお話はよかった。我が九州事務局次長の大場さんも報告した。テキパキと大きな声で、少し早口ながら、見事な報告だった。
 最後の永戸理事長の挨拶は時間がなく、聞きそびれるかと思ったが、端的にまとめられた。しかし本人には不足だったのでは?私達も、もう少し聞きたかった。
 家には11時過ぎに着いたが、やはり得るものがあった。皆さん、有難う。又お会いしましょう。元気でね!
linkLink  trackback 
category総合  time2012-06-18 15:35

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年7月25日号─

叶えられそうもな
いのが夢なのだ


13日
 今日は、労協新聞の川地さんが来られることになっている。連合会の高野副理事長も大分に帰っていられるので、合流することになった。朝から皆そわそわしていた。
 お昼前、高野さんから電話があり、門司港駅まで迎えに行く。ロマンスグレーの紳士が開札口に現れた。先日大分で会ったばかりなのに、嬉しく心にじんときた。「えがお」に着いたら皆も笑顔で迎えた。早速カメラに収めていられた。
 午後になって川地さんから電話が入る。博多での研修会に熱が入り、体操まで習ってきたそうだ。一銭洋食を試食して、取材に入る。
 Mさん、Iさんの話もした。田中所長、中野さん、太田さんに夢を聞かれた。私の夢が壮大で、ついていくだけで、中々自分の夢は見るヒマもないようだった。 それでは駄目!夢を語り合って、それぞれの夢の実現に向けて、協同で楽しく労働しなければと思う。眠ることが夢とか、お嫁に行くのが夢とか、温泉に行くのが夢?そんなのはいつだって叶えられる。叶えられそうもないのが夢なのだ。私は死ぬまで夢を見続けたい。夕方、交流会をした。明日又寄って、惣菜を作るところを取材するそうだ。お疲れ様!又あした。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-05-29 11:24

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年7月15日号─

店に入って一言目が
「これはいい!」


6日
 約束していた「ベターケア」の、取締役とカメラマンが来られた。「ばあBARえがお」に入られた一言めが、「これはいい!」だった。丁度、労災病院のお弁当15ケに、ご飯を詰めるところだった。カメラをまわされ、緊張した。早速一銭洋食を焼いてご馳走した。「懐かしい味だ」と、美味しそうに食べられた。
 いよいよ対面で取材される。私が今までしてきたこと、思いを熱く語った。隣はなにをする人ぞ的でなく、向こう三軒両隣的な地域をつくりたいことなど話した。
 次はいよいよお宅訪問である。ここは老夫婦宅で、ご主人のために介護に入っている。最初は、お2人とも緊張されていたが、上手にお話を引き出されていた。しだいに奥さんも打ち解けて、色々お話しされた。ご主人は税関に勤められ、奥さんは九州電力で働き、お姑さんには随分お世話をかけたと、今でも恩にきておられた。その分、主人の介護は当然私の役目と笑われる。
 80歳なのに元気で若い。高齢者でも自分の役目があるのは、生きがいに繋がる。ヘルパーがつなご主人を散歩に連れて出た。そこをカメラに収めた。
 「えがお」に帰った。カメラマンは博多なので帰られたが、取締役は門司港ホテルに一泊されるそうだ。お店でビールと冷麺を協力して頂き、お別れした。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-05-29 11:23

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年7月5日号─

ついに統一書式も完成!
交流会ではバトル


24日
 04年度最後の地域福祉事業所推進プロジェクト会議に出席するため、博多空港9時発の便で東京に飛び立った。この飛行機はビジネス便らしく、背広姿の男の人で満員だった。
 私たちが少し小声で話をすると、斜め前の若い男が振り返りにらむ。「可愛くないね!」と又囁く。飛行機は大幅に遅れ羽田に着いた。
 本部で「ベターケア」という介護情報誌の川上さんと会った。「まごころ」を取材させてほしいとのこと。見本を見たら、「だんらん」や「ポピー」が掲載されていて、次に「まごころ」を選んで下さった。光栄である。喜んで取材を受けることにした。
 会議が始まる。田中羊子専務は退院されて、元気そうだったので安心した。少しスリムになられていたが、お顔の色艶が良く、引き締まっいろつやた感じだった。
 まず、永戸理事長が挨拶。「真の協同労働で、地域の福祉力を上げ、地域のために働く人になろう」と言われた。長い時間討議して、統一書式も完成。全国地域福祉事業所長会議で学習会をすることになった。そして、04年度の総括、05年度のテーマについて出席者が発言した。
 会議は終わり、交流会に参加した。永戸理事長と、東関東の横倉さんのバトルは大変面白く、新鮮に聞こえた。これこそ労協だ!と思った。皆様お疲れさま、今期もよろしくお願い致します。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-05-29 11:23

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年6月25日号─

ここぞとばかり労協
の宣伝をした


11日
 日田「虹の家」で「仕事おこし講座」の講師を引き受けていたので、朝早く門司港を発つ。小倉で日田彦山線に乗り換える。久し振りにのんびりとローカル線に揺られた。
 彦山に向け、登り線らしく列車もゴトゴトとゆっくり走る。田んぼには、植えつけたばかりの苗がきれいに並んでいた。
 60年前、疎開した母の実家で、田植えの手伝いをしたことを思い出した。教えてくれた祖母も、母も今は居ない。なんだか胸がキュンとした。 「虹の家」に着いた。午後からが、私の担当である。受講生は29名だった。久し振りに人数の多い講座で緊張したが、話していくうちにうちとけてきて、笑う場面が多くなった。
 休憩の時、皆さんが、「高齢なのに楽しく働いているのですね」と言われるので、ここぞとばかり労協の宣伝をした。同じ働くなら楽しく働かなければ、協同労働は楽しいと。
 皆肯いていた。ここから、二つや三つの事業所が出来ることを、望んだ。いや!出来るだろう。
 帰りも日田彦山線に乗る。仕事をし終えた充実感で心も軽い。昨日から少し風邪気味だったのが、なんだか治ったようだった。仕事のあることを感謝した。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-05-15 09:47

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年6月5日号─

100円の総菜、口コミでひろ
がっている。うれしい。


5月27日
100円の惣菜も、地域の方達に口こみで、いい評判が立っているようだ。誰それに聞いたと、見知らぬ方達が買いに来られる。嬉しい。大変助かると、お年寄りにも言われる。目的を少し達したように思う。でも食事のレパートリーを、増やさなければとも思っている。それには人手がいるので、まあ焦らずにぼつぼつがんばろう。
 ローソンが、100円の商品を売り出したと、テレビが報じている。野菜も作成者がわかるように、提示してあるらしい。まだ東京だけのことか?ローソンに行ってみたい。
 午後、東京の会議から帰った田中さんと、「太陽の家」の運営について話し合う。これから益々重要になる通所の運営は、兼任では無理のように思う。「まごころ」の所長と、サービス提供責任者の兼任でも大変だ。夢を持って立ち上げた事業所を、つぶすわけにはいかない。月末のヘルパー会議、その後リーダー会議で真剣に検討する。
 「えがお」にもどると、火曜日ではないのにMさんが来ていた。2人の婆さんが応対していた。私の顔を見ると、少しお酒の入ったMさんは照れくさそうに「眼科の帰りに寄った」と言う。そして「友達が困っているので助けてほしい」と言う。友達は病気で子供もなく、年老いた奥さんが困って居られるそうだ。こんな話には私も愛想よく応じた。月曜日の朝9時に訪問する約束をした。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-05-15 09:40

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年5月25日号─

3人が交代で病院に。やは
り婆さんだね、と大笑い。


9日
 長い連休も終わり、今日から平常の日が続く。「えがお」も、祭日は休んだ。商店街がお休みだからである。栄町商店街も、東門司商店街、中央商店街も、本当に火が消えたようだ。時代の流れか知らないが、高齢者はやはり、昔懐かしい市場や商店が好きのようだ。なんとか活性化してほしい。 朝、直接「えがお」に行く。今日は中野さんが病院に行く日。しかし考えてみれば、太田さんも私も血圧の薬をもらいに行く日だった。やはり婆さんだねと、大笑いした。なんとか3人交代で病院に行く。
 中野さんは糖尿病が重かったのだが、「えがお」に来るようになって、血糖値が低くなったそうだ。私達まで嬉しくなった。家で1人、じっとしていたのでは、心も身体も駄目になる。皆と交わることで、苦しみも悩みも薄れるのではと思う。どんどん元気になって、「婆ばあー」を地域に根付かしてほしい。
 オデンを止めてみた。そこで、一銭洋食をしようと、洋食焼きを買いに行った。作り方を見ようとしたら、店主が気をきかし、中の椅子に座り待っていてと言う。時々盗み見をして、買って帰った。皆で分けて食べた。懐かしい味がした。メリケン粉になにかを混ぜて、(カタクリ粉?)薄く延ばし、テンカスかカツオの粉をのせ、お醤油を塗り、青海苔かネギをのせておわり、本当にシンプルで昔のオヤツという感じ、ヨシ!明日試作してみよう。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-05-15 09:34

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年5月5日号─

自治体にこんな人がいら
れたのかと、認識を新たに


23日
 「全国地域福祉事業所推進特別会議」が広島市で開催された。北九州からは、9名の組合員が参加した。
 会場に着いたら受付で、本部の方、広島の方達にお会いした。なんだかホッとする。「いつもご苦労様」と言いたい。奥本部長が手に包帯を巻いていられた。後で、小指を骨折されたと聞いた。お忙しい方だけれど、くれぐれも大事にして早く治して下さい。会場は一杯になり、会議は始まった。永戸専務はもう元気に回復され、相変わらずの大きな声で、提起をされた。
 介護保険が見直されるなか、今こそ労協の「地域福祉事業所」の出番である。市民が主体となり、地域の人間的な再生に、取り組まなければならない。障害を負っても、高齢になっても、その人らしく生きられる地域でありたい。 3人の講師の方々には本当に感銘した。特に東内さんは、東京で聞いたときより、迫力があった。菅野理事長が、「まいった」と言われたが、私達も同じ気持ちだった。自治体にこんな人がいられたのかと、認識を新たにした。でもそれは東内さんだけでは?とも思う。お役人が皆、東内さんのような気持ちになったとき、安心して老後が送られるようになるのでは?と思った。
 帰り道8名の組合員が、「今日の会議は本当によかった」「目からウロコが落ちた」「誘ってくれてありがとう」と礼を言ってきた。私もこんな素直な仲間がいることを、嬉しく思った。これからも共に楽しく働こうね!お疲れ様でした。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-05-09 15:57

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年4月25日号─

桜の季節も終わろう
としている


12日
 今日は風が強く、近くの公園の桜が、ハラハラと地面に舞い落ちる。愛でる間もなく、桜の季節も終ろうとしている。
 小学校の入学式らしく、新一年生がお母さんに手を引かれ、笑顔で通り過ぎた。
 遠い昔の息子のことより、最近の孫の姿が目に浮かんだ。時代は移ろう。
 事務所に行き書類を整理して、23日に開かれる「全国地域福祉事業所推進特別会議」の出席者を締める。北九州からは10名の参加になった。土曜日なので、行けないヘルパーもいる。残念だ。その時のお話は、ヘルパー会議で皆に伝えるようにする。
 「えがお」に行く。太田さんがいないため、中野さんと2人。厨房は、「こころ」の常勤が手伝ってくれる。仕事の合間のボランティアである。本当に助かる。主婦なので料理も上手。
 小林所長から、毎朝弁当の注文がある。今日は3個、早めにということだった。午後から博多に行くためだ、と思った。「えがお」に張り出したチラシを見て、短時間ではあるが2人男の人が入ったので、所長も午後が少しあいて、営業や自治体回りに出られるようになった。
 「えがお」の常連さんが、そろそろウドンをやめて、冷やし中華を出せと言う。なるほどソウメンは家で作る。
 ところで、味が問題だ。早速美味しい店を探し、ダシの研究をしなければ。なんだか行き当たりばったりの商売だけど、楽しい。果たしてどんな冷やし中華が出来るのか?お楽しみ。皆さん、上手に出来たら食べに来てね!
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 11:22

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年4月15日号─

子供を優しく見守る現
場が目に浮かんだ


9日
 昨日に引き続き会場を変えて、全国地域福祉事業所長会議と、学習会が開催された。午前中は、田中部長の基調報告があり、各事業所の報告があった。どこの事業所も、本当に頑張っている。しかも若い組合員の頑張りが目立つ。「あおぞら」の若い所長の報告は、子供を優しく見守る現場が目に浮かんだ。こんな保育士さんに見守られる子供達は、幸せだろうなと思った。耳のイヤリングも輝いていたが、顔も輝いて見えた。
 最後に、永戸専務のまとめがあった。病後とは思えぬ相変わらずの大きな声で、話された。3年後の事業計画を組合員と共有し、主体性を高め、やる気、根気、元気で、地域再生を自治体と結び協同労働で、と言われたように思う。
 午後、学習会が始まる。「よくする介護とケアワーカーの役割」について有名な大川弥生先生の講演があり、そのあと事例検討が報告された。どの事業所の代表の方も大先生を前に、堂々と報告、質問をされていた。
 「生活不活発病」(廃用症候群)の予防が今重視されている。私自身いつ罹るかもしれない。ひとごとではない。まず健康管理をし、元気な限り人の役に立つことを心がける、前向きに考える、行動を活発にするなど数えればきりがない。とにかく楽しく笑って生きることだと思った。
 3ケ月に1度の全国所長会議は是非万障繰り合わせ、出席することを薦める。なにかしら得るものがある。全国の皆様、お疲れ様でした。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 11:17

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年4月5日号─

自分が救われたよう
な気持ちになった


27日
 又、朝から雨が降る。今日は、福祉生協の集いが博多である。北九州からは6名参加した。和田行男さんが講演された。「大逆転の痴呆ケア」の著者である。最初に詩を朗読され、ビデオが流れた。幾度見ても感動する。独特の言い方での婆さん達、とても可愛い。
 いずれにしても、自立を支援されている様子がありありと分かる。人は、自分のことは自分でしたい。そしてコロリと死んでいきたい。だから最後まで、自分で出来ることは自分でさせてあげたい。この思いが婆さんを元気にさせるのだと思った。
 事実、ビデオの中の「こもれび」の婆さん達はとても元気そうだった。買い物に行こうとして外に出たら、何処に行くのか忘れてしまうけれど、手にはメモが握り締められている。その手を指してあげると、すぐ思い出す。誰かが少し助けてあげれば、普通の生活が出来る。私は、自分が救われたような気持ちになった。 「私達の入りたいグループホームを作りたいね、そして小林所長達のような優しいお兄さんに、スタッフになってほしね」と、夢を語りながら門司に帰った。皆さん、お疲れ様でした。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 11:11

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年3月25日号─

地震だ!驚いて下駄箱にしがみついた

 お墓参りに行く買い物に行こうと、玄関に出たとたん、揺れだした。驚いて下駄箱にしがみついた。
 地震だ!台所の棚から、サランラップがすべり落ち、恐くなり外に飛び出した。電線がゆらゆら揺れていた。皆出て来たが、緊張した顔でものも言えないでいた。生まれてこのかた、初めての体験だった。
 しばらく外にいたが、静まったので、太田さんに電話するが、プープーと話中の状態で繋がらない。今度は嫁に電話するが、これも繋がらない。携帯も駄目。又きたら恐いので、そのまま車に乗り、スーパーに行った。そこでは何事もなかったように、平常だった。
 買い物をして帰った。テレビをつけると、玄界島、福岡、佐賀方面が震度6で、大きな被害が出たことが、報じられていた。特に玄界島は、家や崖が崩れていた。新潟地震で見たのと同じ状態が、映し出されていた。今までは人ごとのように思っていたが、本当に恐かった。それでも震度5だった。玄界島の方達、さぞ生きた心地がしなかったのでは。
 九州は地震の来ない土地と安心していた。
 70年生きてきて、もう死んでも思い残すこともないように思えるのに、いざこのような場面に遭遇してみると、命は助かりたい。恐く痛い目には遭いたくない。畳の上で安らかに死にたい。
 あちこち電話をするが、どこも繋がらない。イライラしながらテレビを見ていた。夕方、渡口さんから電話があった。大丈夫ですか?と。福岡こそ大変だっただろうに、皆のことを心配されての確認の電話だ。心強かった。
 時々余震はあるものの、さほどの被害もなく地震は収まった。玄界島の人達のことを思うと、心が痛む。全島避難されるそうだが、早く地震が収まることを祈る。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 11:04

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年3月15日号─

今年は、エリア全体の夢
を描かなければならない


4日
 3日、4日と、九州事業本部のエリア会議が、大分県の九重町で開催された。九重とあったので、私はいつもの早とちりをし、阿蘇の九重かと勘違いしていた。ここは、「ここのえ町」というそうだ。
 今日の課題は、2005年度の事業計画の骨子を作成することである。窓からは3月の忘れ雪が、音もなく降っているのが見える。去年は所長として、自分の夢を描いた。でも、今年は違う。エリア全体の夢を描かなければならない。2004年度の総括をし、結果を分析して来期につなげる。 時々窓に目をやりながら、パソコンと向き合う。7人のエリア責任者も、必死で頑張っていた。完全には出来上がらないので、7日までに送ることにして、散会した。
 私達は杉本事務局長の提案で、帰り道にある日田のサッポロビール工場を見学した。門司から移転した工場である。日田の水がきれいなので、選ばれたそうだ。
 大きな工場に、人の姿は3〜4人しかいなかった。全部コンピューターで制御されていた。試飲をした。やはりエビスビールは美味い! 甘い舌触りで、日頃焼酎党の私も好きになった。苦しくも、楽しいエリア会議であった。皆さん、お疲れ様。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 10:57

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年3月5日号─

宮本さん、横田さんの結
婚を祝う会で涙が溢れた


 2月22日
 今日は、九州事業本部所長会議と、宮本さん・横田さんの結婚を祝う会があるため、田中さん、谷村さんと博多に行く。
 会議は時間厳守で開催された。本部長の挨拶の後、1・2・3運動の取組み状況と、成果について、エリアごとに報告をした。
 北九州(事)は、指定管理者制度に挑戦すること、チラシを配布すること、健全経営に取り組んでいることなどを、小林所長、田中さんに報告してもらった。宮崎の池田さんは、きめこまかな原価率の分析を書類にしていて、驚いた。組合員と共に経営している。博多の小林さん、大牟田の浜崎さん達にも大いに学んだ。
 3時に会議は終わり、祝う会に移動する。
 レースのカーテンのベールを被った花嫁が、新郎と入場する。拍手で迎える。横山専務補佐の祝辞に続き、乾杯、2人の挨拶、なれそめなど紹介された。余興では、「寛一お宮」が出た。私と木下君とで、花束を2人に渡した。涙が溢れた。木下君がネクタイで拭いてくれた。優しい人、この人もすぐ、お嫁さんが来るそうだ。
 事業本部も結婚ラッシュだ。大場さんも頑張らなければ。やはり泣いた。本部長が泣いた。皆も泣いた。優しい涙で溢れた。お二人の幸せを祈り、皆でハナミズキの歌を唄った。横田さん、又労協に帰ってきてね!待っています。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 10:53

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年2月25日号─

料理は愛情というけれど
腕も磨かなければ


 2月10日
 私も鬼の霍乱で、とうとう風邪を引いた。長いこと引かなかったが、皆引いているのでうつる。食べ物を扱うので、気をつけなければと思う。
 まだマスクをした谷村さんが、昼食に寄ってくれた。大分治ったとみえて、食欲はあった。色々味見をしてくれていた。美味しいと言ってくれた。ウドンのお汁が今一コクがないと言う。中野さんと研究する。お客さんが、スケさんウドンのダシが美味しいと言う。今時のお客さんは口が肥えているので、ごまかしがきかない。お金を頂く以上、素人ではいけない。料理は愛情と言うけれど、腕も磨かなければ駄目だと思った。
 まごころのヘルパーが、活動帰りにオデンを食べに来てくれた。美味しいと言ってくれた。ヒマの時は、ボランテイアをしてくれるとも言ってくれた。その気持ちが嬉しい。
 隣の化粧品屋さんが、ウドンを注文してくれたので、私も化粧品を買いに行った。値引きが出来ないのでと、カレンダーや試供品をくれた。商店街は、向こう三軒両隣が出来る。
 団地が中々なりにくい。前の団地に一人住んで居られるお客さんが、息子が孤独死を恐れ、中津に帰って来いと言うが、一人が暢気でいいと言われる。私は、私達で時々気をつけてあげるからと、励ます。人事ではない。誰かが誰かを見守る地域でありたい。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 10:32

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年2月15日号─

無理しないで少し無理も
して地域に根付きたい


9日
 朝、事務所に太田さんから電話があり、小林所長がインフルエンザだと言う。びっくりした。ただの風邪だと思っていたので軽く考えていたが、これは大変だ。やはり小林所長も疲れていたのだろう。可哀想に思った。
 風邪が流行り、私も風邪気味。歳の加減を感じる。でも、ばあBARには、オデンを食べに来たり、買って下さる人達が居るので、ありがたい。腰の痛さも忘れて、応待している。「彩華軸」の先生が、又掛け軸を持って来られた。しかし、身体の調子が悪いので、しばらく春になるまで教室は休みたい、と言われた。無理をしないでいつからでもどうぞと、答えた。
 谷さんが食事に来てくれた。色々惣菜を試食してくれた。美味しいとお墨付きをもらった。お酒の仕入れに行く。なんと種類の多いこと。日頃本部長が言われる焼酎を仕入れた。早く飲みに来てほしい。
 夕方から雨になった。三寒四温を繰り返しながら、春になるのだろう。早くお店を開け放しにしたい。オデン鍋も外に出したい。少しずつ地域の方達に知られるようになった気がする。1週間で約10万円になった。田中さんが喜ぶ。疲れるけれど、喜びの方が大きい。無理しないで少し無理もして、地域に根付きたい。
(関連記事↓)


地域のたまり場「ばあBAR・えがお」開店
ちょっとおしゃれなお婆さんのいる店。オデンもお酒もどうぞ
 2月2日。きょうは「ばあBAR・えがお」開店の日。
 この場所を、地域の人達の溜まり場にしたいと、ちょっと食事ができるように、お総菜もつくった。お酒もある。おでんも煮込んだ。が、寒波が止まず寒い。小雪もちらつく。凍って道路も滑る。
 田中さん、太田さん、中野さんも「これじゃあ誰もこないかも」と、心配そうにつぶやく。
 お昼、近所のお年寄りが、「今までコンビニで買っていたが、ここに出来てよかった」とオデンを買って下さった。次には、魚屋のご主人が食事をして下さり、仕事がすんだら飲みにくると言われた。お肉屋さんも買ってくれた。利用者さんも訪ねてくれ、仕事を終えた清掃の組合員や地域福祉事業所の仲間も来た。大家さんからも欄の鉢が届いた。小林所長も寒い中ゴミ収集や洗濯などで大奮闘。感謝!。今日は寒い凍りつくような日だったが心は暖かい。開店してよかった。
 オデンも売り切れた。魚屋のご主人が約束どおり来られた。嬉しかった。クジラの話をしばらくして帰られた。少し疲れたが、心は充実した一日だった。(多恵ちゃん日記)
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 10:24

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年2月5日号─

北九州の健全経営の努
力が認められて嬉しい


28日
 全国事業所長会議が開催された。全国から所長達が大勢集まっていた。特に女の方が増えてきた。やはり地域福祉事業所が立ち上がるからだと思う。
 岩城理事長の挨拶があった。その中で、北九州のことが話された。健全経営にするための、私達リーダー達の努力を、少しだけ認めてもらえたようで、嬉しかった。給料を下げることが目的ではない。これは単なる手段だ。
 私の思いをリーダー達が共有してくれて、目的(健全経営)に向け共に励んでくれる、これが嬉しい。お陰で利用者も増え、1月から「まごころの家」も、「太陽の家」も原価率が下がる。会議は続き、新規事業所の紹介があった。労協は夢が実現出来る。それぞれの所長さんの顔は、輝いていた。
 最後に、永戸専務のまとめがあった。今労協は激変期にある。この時期を生き抜くための、所長の任務が問われる。やはり1人1人の組合員に理念原則が共有され、創造力・判断力を高め、動き続ける組織作りをしなければならない。仲間に信頼されているか?結束力はあるか?今一度反省してみよう。夜、交流会で賑わった。お疲れさま。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 09:55

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年1月25日号─

2月2日、大安の日に
ばあBAR開店します


13日
 ばあBAR開店に伴い、保健所の調査があるので、田中所長と「えがお」に行く。昨日交流会をしたばかりの2階の調理場を、きれいに片付ける。
 10時半前、約束時間より早く、保健所の係官が来られた。2階に案内する。提出していた書類と、配置図を見ながらチェックして居られた。ドキドキしながら見ていた。今度は接客場を見せてほしいとのことで、階下に降りた。トイレはどこ?と言われ、案内する。
 そして何時から始めますか?と言われ、2月2日開店予定と答える。すると、今日からでもいいですよと言われ、びっくりする。なんとスムースにいくものだろうと。なにも修正するところもなく、田中さんと大喜びした。経費も節約し、あるもので済ませた。
 中心になる中野さんが白内障の手術を受けるため1週間かかる。そのため2月2日の大安に開店することにした。中野さんも喜んでいた。
 赤ちょうちんでもぶらさげようかとも話した。材料は近くの市場やお肉屋さんで、調達しなければと思う。地域を大事にしなければ。チラシを近所に配り、宣伝しなければと思っている。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 09:49

まごころヘルパー/ 多恵ちゃん日記

2005年1月15日号─

今年こそ太陽が燦
燦と照りそそぐように


7日
 朝まだ出勤前に、小林所長から電話があり、清掃とヘルパーを頑張っている渡邊さんの、息子さんが亡くなったと知らせてきた。1年くらい前に舌癌と診断され、療養されていた。まだ45歳である。覚悟はしていたとはいえ、自分より先に逝く息子の死は、どんなに悲しいことかと想像する。年末の火事と、またこの度の不幸と重なり、本当に気の毒でならない。でも仲間がいる。こんな時こそ皆で励まして、悲しみを乗り越えてもらうしかない。日時がかかるかもしれないが。
 谷村さんが午前中で研修会をすませ、「太陽の家」に寄るというので、私も時間に合わせ「太陽の家」に行く。利用者が二人居られた。残念ながらまだこの二人だけである。生活相談員の平さんもいろいろ営業しているが、なかなか実績に繋がらない。少し焦りぎみである。1人なので尚更心細いのだと思う。地域懇談会をと田中さんも計画はしているが、実現していない。
 介護度5の方がやめられて、事業収入も減った。赤字が続く。ヘルパー講座を開講するように勧めているが、1・2・3運動の決起大会が終ってから皆で、商店街を行き来する人達にチラシを渡そうと話した。地域に全然根ざしていない。私が悪い。
 主人のことが突然起こり、その方にかまけてしまった。頼りのMさんは辞めるはめになるし、太陽は沈んでしまいそう。これではいけない。
 今年こそ、太陽が燦燦と照りそそぐように、皆で意志統一しなければ。
linkLink  trackback 
category総合  time2012-04-10 09:40

«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 || Next»